やつば池散歩道(豊田市)のブログ

やつば池(八ッ谷池)は、私が住んでいる豊田市朝日町と、その隣の丸根町に接する小さな農業用の溜め池です。                  やつば池を周回する散歩道を元気に歩ける幸せを感じながら、地域の話題や情報を発信します。

2月17日(土)、この日のピョンチャン冬季オリンピックの男子フィギュアスケートで、羽生結弦選手が金メダル、宇野昌磨選手が銀メダルに輝きました。
特に、宇野昌磨選手は名古屋市の出身でトヨタ自動車に所属していることもあって、豊田市内でもパブリックビューイングで応援していたようです。

そんなうれしい出来事があったの日の午後、先回の平芝公園の梅の開花状況から一週間が過ぎた午後、寒風が吹き抜ける中の平芝公園へ行ってみました。
今週は比較的寒さも緩み、あたたかさを少し感じるようになった日も多くあったので、梅の花も咲きだしてきているんではと期待をして行きました。
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けれども、思ったほど開花は進んでいなく、まだまださみしい梅林の光景でした。
先週につぼみが大きくなってきていた早咲きのオオサカズキは、遠くからでもピンク色の花の色を濃くしているのが良く分かります。
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開花している花の数は少なくても、つぼみが大きく膨らんでいます。
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咲き始めましたが、また寒波が来るようなので、このまま一気に開花が進むとは言えないようです。
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白梅のトウジウメにも、ポツンポツンと白い花が見えてきていました。
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一本の枝に花が一つか二つ咲いているくらいの開花状況です。
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開花が始まっている2種類を紹介しましたが、全体的に公園内を見渡すと、こんな感じです。
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昨年なら、2月の中旬にはきれいな梅林が楽しめるほどに咲いていたのに、今年はまだまだです。
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昨年に比べて、およそ一ヶ月も遅いという状況です。
もうすぐ二十四節気の「雨水」になりますが、豊田市の今日の最低気温が氷点下2∼3℃と冷え込んでいて、最高気温も10℃まで上がりません。
予報では、20日(火)あたりから寒さが緩むようですので、また来週にでも平芝公園の梅の開花状況をお伝えしたいと思っています。

豊田市枝下町の旧飯田街道を訪ねていたら、枝下駅跡の近くの枝下町公民館の駐車場に「わくわく事業」で立てられた案内板が有ったので近づいて見ると、それは枝下用水の説明板でした。
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表面には「旧枝下用水取水口(第一水門)」と「偉大なかんがい事業の足跡」と書かれています。
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説明文には・・・
この取水口は、矢作川から水を取り入れる重要な場所で「枝下用水」の名前の由来となっています。
現在は、取水口の土台・水路の石垣・中島(下図の中州)との間に築かれた石堤があり、さらには下流約700mに「第二樋門」などの遺構があります。
各遺構には一定の水量を取り入れる工夫がなされ、特に「第二樋門」の役割は洪水対策上主要な場所でもありました。
 ※測量開始・・・・・明治10年(1877)
           明治23年 幹線部分と東用水が完成
           明治25年 中用水が完成
           明治27年 西用水が完成
 ※越戸ダム完成・・・昭和4年(1929)
           西枝下からの取水口は越戸ダムに移る
(右半分の説明は省略)

そして裏面には「枝下用水かんがい区域」の絵図がありました。
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かんがい区域は、猿投・挙母・上郷・高岡地域にわたり、末端は隣接する安城市・知立市・刈谷市近辺にまで至っています。
と書かれていて、主要施設等の場所も書かれています。
表面側の着工当時のイラストを拡大しました。
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取水口へ矢作川の水を取り込む施設の様子が分かりやすく書かれています。
現在地のすぐ近くに、枝下用水の取水口が有るようなので行ってみました。
名鉄三河線の廃線の線路を少し行ったところに『枝下用水原点取水口「第1水門」入口』と書かれた白いペンキで塗られた杭が立っていました。
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杭の場所からすぐ下に矢作川の水面が見えています。
気を付けながら川岸へ近づくと、用水路の石垣と思われる部分が水面から顔を出して残っていました。
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ここが明治20年頃に工事が行なわれていた枝下用水の取水口の跡です。
取水口から遠くに見えるのが矢作川の中洲の中島です。
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水面に遺構の石堤が所々に顔を出しています。
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水位が下がればもっとたくさん見られるようです。
ここから700m下流に第二樋門と呼ばれる遺構も残っているということなので、廃線になっている線路の上を歩いて行きました。
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線路の両側には竹林が茂っています。
およそ10分ほど歩いて到着した「第二樋門入口」の案内の杭です。
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ここから 0.4キロと書かれています。
ゆるやかに下り坂になっている竹林の中を進んで行きます。
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迷わないように所々に竹に巻かれた目印が有りました。
川が近づいた感じがしたところに、最後の難関の竹を並べただけの手づくりの橋です。
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竹林から視界が広がり、明治時代に造られた枝下用水の遺構が姿が現れました。
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用水の樋門がある石垣です。
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石垣の上に昇って、反対側を覗いてみると、水門の跡がありました。
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この水門(第二樋門)で、取水口から通水された枝下用水を取り入れたり、堰き止めて排水を行ない、ここから流れる用水の水位を調節する施設です。
石垣の中に「第二樋門」の銘板を何とか見ることができました。
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樋門をくぐった用水はここからさらに矢作川の右岸に沿って下流に流れていくようになっています。
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第二樋門から見た矢作川の上流方面です。
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第二樋門のある位置は地図で見ると枝下町と御船町の境付近になります。
この辺りの矢作川は、下流に築かれた越戸ダムで貯められたダム湖で川の水位が高くなっているため、川岸に沿って造られている用水の堤防は見えませんが、水位が下がった時には水面下の堤防の跡が見えてくるようです。
インターネットのGoogleマップの航空写真でこの場所を見ると、矢作川の右岸に沿うように枝下用水の堤防の一部が水面から出ているので良く分かります。

このブログの最初の写真の枝下用水の説明板の右半分の部分を拡大しました。
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ここにも書かれているように、地形上の難工事に加え、たび重なる洪水や災害により中断、(中略)
その中で西澤眞蔵は私財を投じて難工事を推進し、多大な貢献をした。とあります。
まさに、偉大なかんがい事業だった明治時代の枝下用水です。

名鉄三河線の猿投-西中金駅間の廃止により廃駅になったのは、三河御船駅・枝下駅・三河広瀬駅・西中金駅の4つの駅ですが、今までのブログで三河御船駅(2018.2.2)・三河広瀬駅(2017.12.12)・西中金駅(2017.11.17)の三駅を紹介してきました。

今回は、残りの枝下駅について紹介します。
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漢字で「枝下」と書いて「しだれ」と読みます。
地名は読み方が難しい中で、枝下も難読駅の一つのようです。
歴史をたどると、この地を古くは「志多利しだり郷」と呼んでいたという古文書の記録があるようです。
その後、参州加茂郡枝下(しだり)村という地名になり、文字が変わっていますが、その由来は明らかではありません。
枝下町になる以前は、矢作川を挟んで左岸側の東枝下村と、右岸側の西枝下村という、2つの枝下村がありました。
枝下の呼び方が「しだり」から「しだれ」に変わったのは、名鉄の駅が出来た時という話を聞いています。
そんな中でも、枝下町自治区が年4回発行の自治区だよりの名称は「かわら版しだり」となっていて、「しだり」の名が残されています。
現在では豊田市内の町名の見直しで、西枝下村が枝下町になり、東枝下村は石野町になっています。
そのなごりというか、矢作川に架かった東西の枝下村をつなぐ橋を両枝橋と呼んでいます。
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町の名前は変わっても、両枝下の絆と思い出が橋の名前に込められています。

昭和2年(1927年)8月に開設された枝下駅は、平成16年(2004年)3月末に廃線になって以後も線路やプラットホームは現存していますが、駅舎は昭和42年(1967年)頃に解体されたので今は残されていません。
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三河広瀬駅・西中金駅は、駅舎とプラットホームが国の有形文化財への登録されましたが、枝下駅跡は駅舎が無いのでプラットホームだけでは登録されていませんでした。

廃駅になった後の枝下駅前は、平成19年に豊田市のわくわく事業で枝下町自治区が整備を開始され、わくわく広場になっています。
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残念ながら時計は故障中でしたが、広場の片隅には枝下駅の名前にちなんで、枝垂れ桜が植えられていて、大きく育っていました。
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春には、きれいな枝垂れ桜が見られるようです。
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上の写真が駅から三河御船・猿投方面を見たところです。
そして、下の写真が三河広瀬方面です。
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駅のすぐ近くに矢作川を渡るグリーンロードの高架橋が架かっています。
線路と矢作川の間が旧飯田街道になっていて、その場所に「三河線枝下駅と木節粘土」の説明板がありました。
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左側の写真に現役当時の枝下駅の駅舎が写っていました。
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またこの駅が開所した当初は、駅の近くで取れる、陶磁器の材料に適した木節(きぶし)粘土の需要が高まり、大量に輸送されるために貨物列車の引き込み線がありました。
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けれども、車社会の発展で昭和59年(1984年)1月には貨物列車が廃止され引き込み線も撤去されています。

県道11号線を走る機会があったら、枝下駅跡にも立ち寄ってみてはいかがですか。

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