先日、豊田市くらし発見館の企画展「明治~平成 まちなかの変遷」を見た後に、工事が始まった豊田市駅前通り北地区再開発地区の現地を見てみようと思い、喜多町に有った喜多神社の周辺に行ってみました。
喜多神社はすでに撤去されていて、神社横に有った挙母祭りの時の喜多町の山車蔵(だしぐら)が台座の上に載せられて40~50mほど移動していました。
DSCN8201


駅前北地区再開発で古い建物が壊されて新しい建物に変身しますが、喜多町の山車蔵はそのままの形で保存されることになったそうです。
工事が終わるまで一時少し移動させて、工事後にまた元の場所に戻されるということでした。
DSCN8196

もうすぐ取り壊される建物の裏に有った喜多神社と喜多町の山車蔵の跡は、もうすでに何も無くなっていて整地されていました。

DSCN8193

下の写真の中央の奥の方に移動された山車蔵が見えます。
DSCN8191
この道路の左側が、今までの山車蔵が有った場所です。

喜多神社の存続についての情報を調べてみると・・・
地元の自治区(約600世帯)では再開発後も〝氏神様〟の存続を願っており、北地区の地権者などで組織する再開発組合も地元の意向を汲み、工事でいったん移設はしますが、工事完成後は、ほぼ元の場所に戻すことを決めたそうです。
 
境内の今までの面積は252平方㍍で、社(やしろ)や山車蔵、鳥居、狛犬、灯篭などがありました。

下の写真は工事前の喜多神社です。(奥の方に山車蔵が見えています)
無題006

山車蔵と神社の間には喜多町チビッ子広場がありました。
無題008

移動される前の喜多町の山車蔵です。
無題007

神社の社(やしろ)は祠(ほこら)規模に縮小されて新築される予定ということです。

特に灯篭は「享和3年(1803年)北町」の刻印がある200年以上前の古いもので、地元では指定記念物にはなっていませんが、この地区では歴史的なものであり、保存されることで挙母の歴史が残されることになったと喜んでいるようです。

挙母祭りの時の喜多神社前で待機する喜多町の山車の雄姿です。
P1000260

そして、喜多神社の灯籠です。
P1000261

町の建物は新しくなりますが、古くても地元の人たちにとっては大切なものは、キチンと残すという下町の人のあたたかい人情に触れたような気持になり、嬉しく思いました。