5月5日は子供の日です。
端午(たんご)の節句ともいいます。
本来、端午とは月の始めの午(うま)の日をいいますが、いつの日からか5月5日を端午というように変っていったようです。
古代中国では、この日を薬採りの日としていて、薬草を摘んで野遊びをしました。
菖蒲(ショウブ)は、煎じて飲んだりして昔から薬草として使われていたそうです。
端午の節句が男の子の節句とされるまでは、厄病を祓う節句で「菖蒲の節句」とも呼ばれていました。
平安時代は宮中の儀式でしたが、江戸時代になって、3月3日の桃の節句が女の子の節句と対応させて、菖蒲が尚武と同じ音であることから男の子の節句になりました。


そんな5月5日に、奥三河新城市の長篠(ながしの)城址で毎年行われている「長篠合戦のぼりまつり」に行ってきました。
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長篠の戦いは、戦国時代の天正3年5月21日(1575年6月29日)三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍38,000と武田勝頼軍15,000との間で勃発した.戦いで、敗れた武田軍は甚大な被害を受けました。
通説では織田軍の3000丁の鉄砲に対し、武田軍の騎馬隊は成すすべもなかったということです。

長篠合戦のぼりまつりは、この戦いで戦死した両軍の将士の霊を慰めるために、定紋入りのぼりを数千本献植して行なうまつりです。
鎧・兜に身を固めた鉄砲隊による火縄銃の演舞・勇壮な長篠陣太鼓などが披露されます。


のぼりまつり会場の長篠城址には広い駐車場が無いので、会場近くの三菱電機の工場から無料シャトルバスが出ています。
お昼少し前に、のぼりがいっぱい立てられたまつりの会場に着きました。
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すでに1回目の火縄銃の実演が行なわれており、到着した時にはもうあたり一面に大きな音が鳴り響いていました。
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米沢藩稲富流砲術隊と日本前装銃射撃連盟そして長篠・設楽原鉄砲隊の3つの団体がみごとな火縄銃の実演を披露してくれました。
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ものすごく大きな火縄銃が登場しました。
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説明する人が、これは300匁(もんめ)銃といっていました。
1匁が3.75gなので1Kgを超える重さの玉を打つ火縄銃です。
もちろん空砲ですが、それでも俵で固定して発砲しなければ吹き飛ばされるそうです。
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ものすごい音で大迫力でした。

同時に撃つのがむずかしい一斉発砲です。
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成功したときには観衆から大きな拍手がおくられていました。

二列になっての一斉発砲です。
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こちらも、すごい迫力でした。
 
木陰の涼しい場所では野点が行なわれていて、抹茶がいただけました。
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1回目の火縄銃の実演が終わったところで帰りのバスの混雑を避けて会場をあとにしました。
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今年(平成27年)は、家康公400年祭と長篠合戦のぼりまつりが第50回記念大会ということで、例年に増していろいろなイベントが行なわれたそうです。