1月28日 (土) の中日新聞朝刊の地域版の「地名さんぽ」のコーナーに豊田市の鞍ヶ池(くらがいけ)が紹介されていました。
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この記事に中に、トヨタ鞍ヶ池記念館の副館長の話から聞いた「鞍ヶ池」の名前の由来が書かれています。

鞍ヶ池は今から350年ほど前の江戸時代初期の寛永年間(1624~1644)に、干ばつに悩まされていた農民たちが2年かけて田畑を潤すための灌漑(かんがい)用のため池を作りました。
その時代に、この辺りを治めていたのが「槍の半蔵」として名をはせた徳川家康配下の武将渡辺半蔵守綱の長男で、寺部城主の渡辺重綱が、池の出来具合の見事さに感心し、視察のために乗ってきた馬を降りて自らの鞍を「池の主になって末永くこの池を見守れ」と言って水中に投げ込んだのが、鞍ヶ池の名前の由来だそうです。

記事の中に、名前の由来の他に、現在池の耐震工事が行なわれており、3月に工事が終わるまで池の水が抜かれていて、いつもとは異なる姿を見せているという情報も有りました。

鞍ヶ池の水が抜かれた景観はなかなか見られないので、どんな状態になっているのか1月28日の午後、出かけてみました。

下の2枚の写真は、以前に写した通常の池の水が満水に蓄えられた時の鞍ヶ池の景観です。
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池の広さは125ヘクタールあり、水面にはレジャー用のボートが浮かんでいます。
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そして、1月28日の鞍ヶ池の景観です。
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水が抜かれて、広々とした池の底が見えています。
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ボート池に利用されていることもあってか、予想した以上に浅い池の底でした。
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池の姿が変わり果て、少し残っている池の水辺に、サギやカモなどの鳥たちが集まっていました。
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当たり前のことですが、干上がった池の中を見渡したところ、投げ込んだと言われている馬の鞍の姿は見当たりませんでした。
新聞の記事の最後に、トヨタ鞍ヶ池記念館には鞍をかたどった銅像があり、シンボルとして大事にされていると書かれていたので、記念館に行ってみました。
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駐車場で警備をされている方に尋ねたところ、その銅像は特別な場所に置かれていて、普段には入れない場所にあるということで、残念ながら見ることができませんでした。
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インターネットを検索して見つけた鞍の銅像の写真です。
画像が小さくて見づらいですが、よく見ると馬の鞍の姿がわかります。

鞍の銅像を一般の市民にも近くで見られるようにしていただければと、トヨタ鞍ヶ池記念館の関係者の方のご理解を期待したいと思っています。