豊田市郷土資料館は、昭和42年(1967年)に開館してから、今年、平成29年(2017年)で50年を迎えました。
常設展では「豊田市のあゆみ」旧豊田地域の歴史を原始から現代までの指定文化財などが公開展示されています。
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開館50年を迎えたこの機会に、豊田市内に伝わる文化財の魅力を再発見してもらうために、学芸員による常設展ギャラリートークが2月26日 (日) の午後に開催されました。

今回のテーマは、豊田市郷土資料館に展示されている重要文化財の「織田信長像のなぞをさぐる!」でした。
豊田市長興寺が所蔵している「紙本著色織田信長像」です。
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今回のギャラリートークでは、

① なぜ、豊田市に織田信長像の掛軸が伝わっているのか?
② なぜ、この画像が最もよく紹介されるのか?
③ この絵を描いたのは誰か?

という内容を中心に、午後1時半から、豊田市郷土資料館常設展に展示中の「紙本著色織田信長像」の複製を見ながら、描かれている織田信長像や、信長と市域の関わりの歴史について、学芸員の伊藤智子さんより説明がありました。
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この催しを新聞で紹介したこともあって、ざっと数えても70人以上の参加者が有り、会場のロビーは満員状態でした。

今回の話の中で、信長像の裃(かみしも)の家紋が織田家の代表的な家紋の織田木瓜ではなくて、なぜ足利将軍家の家紋の桐紋を着用しているかという説明がありました。

これは信長が足利義昭から拝領した家紋で、 皇室の家紋でもある桐紋を足利氏から拝領した武家として、名誉ある家紋といえるそうです。

またこの肖像画を描いた人物についての説明があり、絵の裏側に書かれている文字を写した写真を見せてもらえました。
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黒い文字で「狩野」と書かれており、朱印で「元秀」と印されていることから、狩野元秀の作と言われています。

狩野派の家系図で説明があり、狩野永徳の弟の狩野宗秀(そうしゅう)が元秀(もとひで)とも称していたということで、作者は狩野宗秀でも狩野元秀でもどちらでも良いようです。
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現在、この肖像画の実物は常には何処に保管されているのかという質問がありましたが、お宝などの保管場所は秘密にされていることが多く、この信長像も何処にあるか答えられないということでした。

そんな話の続きに、過去の修理の記録についての説明があり、記録に残っている一番新しいのが、昭和20年4月の太平洋戦争の最中に修理されていたということで、その後70年余の長い期間保存している中で傷みが出てきたということから、現在は京都の文化財修復所で修理されているそうです。

修理が終わった後、実物の展示については、信長が岐阜城に居城してから今年が450年という記念の年になるので、岐阜市で7月~8月頃に公開予定だそうです
(歴史上の記録に、信長がこの地を岐阜という名前に改めたとあります)

学ぶことが多かった豊田市郷土資料館のギャラリートークでした。