ブログのタイトルとしている溜め池の「やつば池」は、漢字では「八ツ谷池」と書きます。
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一般的には「」の文字は「」とか「たに」と読み、「」とは読みません。
それなのに、なぜ「八ツ谷」を「やつや」と呼ばずに「やつば」と呼んでいるのか、前から疑問でした。
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少し歴史をさかのぼって、地名について調べて見ると・・・
現在の豊田市の挙母地区の原型は、明治39年7月に挙母町、梅坪村、逢妻村、根川村、宮口村が合併することによって出来上がっています。
昭和26年3月に挙母町から挙母市に市制が施行されました。
町や村の字名は、多少の変更はあったものの、概ね江戸時代の名前を引き継いでいました。
しかし、昭和34年(1959年)に挙母市から豊田市へ改称する際に多くの字名が消えていき、殆どが〇〇町〇丁目〇〇番地に改められています。

とよたの地名語源由来が書かれた書物によると、八ツ谷池がある現在の豊田市丸根町3丁目付近は、旧地名では宮口村字八ツ谷となっていて、「八ツ谷」を呼び名で「やつばさま」と書かれています。

地名の呼び方で、山や丘との間に細長く奥深く入り込んだ「谷」のことを「狭間」といい、このあたりの言葉で狭間を「ばさま」と発音し、谷や湿地のことを「迫(ば)」と略していう場合があります。
ちなみに戦国時代の今川軍と織田軍が戦った「桶狭間」の地も「おけはざま」と呼ばれています。

挙母市から豊田市に市名が改称された時に字名の八ツ谷は消滅しましたが、溜め池の名前に八ツ谷池として昔の地名が残され、「やつばさま」の「さま」がいつしか取れて「やつば」と呼ばれるようになり、「八ツ谷池」と書いて「やつばいけ」となったと推測されます。
調べている中で、ある書物には「八ツ谷池」を「八迫池」と当て字にして書かれたものもありました。

上空から見た現在の八ツ谷池全景です。(Googleより)
2017-10-07

八ツ谷池の周囲には、住宅が囲むように迫っています。
2017-10-08
住宅地になる前の八ツ谷池周辺は、どんな景観だったんでしょう!

昭和10年(1935年)の西加茂郡挙母町実測図がありました。
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地図を拡大しました。
見にくいですが下の地図の中央にある池が八ツ谷池です。(文字を白色で書き込みました)
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八ツ谷池の周辺には山地が広がっていて、西側の逢妻女川沿いには田んぼがあります。
家並みがあるのは宮口上と宮口神社周辺の山ノ神と一色の部落です。
宮口上の東方に洞泉寺(卍)が見つかります。

もう一つの昭和12年の挙母町の地図にも、たくさんの溜め池が書かれています。

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(※池の名前の文字は、私が地図に書きこんだものです)


その15年後の昭和27年の挙母市の地図の一部を拡大したものです。
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まだこの時でも池の周りには何も書かれていません。
小高い丘から八ツ谷池に流れるたくさんの小さな谷があって、雨水が流れ込んでいたのでしょうか?
地図を見ながら想像するのも楽しいものです。