12月16日(土)の午後、豊田市近代の産業とくらし発見館(略称:くらし発見館)で現在開催されている企画展「今のとよた、昔のとよた」の関連イベントで「ギャラリートークとKiTARA周辺をぶらり」という催しに参加してきました。
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先月(11月)25日に、豊田市駅前北地区の再開発で「KiTARA(キタラ)」がオープンしました。
KiTARAとは市民から募集して決まった名称で、楽しいこと、わくわくすることを求めて、ここへ「来たら」という意味を込めて名付けられました。
再開発地区の名称である北地区、そしてビルの所在地である喜多町の「キタ」という音の響きも含んでいます。そして、あらゆる人々に末永く親しまれるようにとの願いが込められています。

今回のくらし発見館の企画展では「今のとよた、昔のとよた」と題し、挙母町の地図と写真を中心に豊田市中心市街地から、挙母(ころも)と呼ばれた昔のとよたを探ってみようということです。

ギャラリートークが行なわれたくらし発見館の展示室には豊田市街地の正確なジオラマがありました。
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愛知工業大学の学生が作った1000分の1の模型だそうです。
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ギャラリートークでは、この模型を使って今の場所の昔の写真を見せながらの説明がありました。
およそ30分間の学芸員の方のギャラリートークの後、くらし発見館から外に出て、周辺をぶらりと散策をしながら数か所での現地での解説がされました。
くらし発見館のすぐ横には、かつての水路跡があり、この水路で矢作川からの物資を運んでいたとか、
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この川(五六川)で、喜多町と竹生町が分けられていたという話がありました。

次に進んで行ったところは児ノ口(ちごのぐち)公園のとなりの駐車場の西側にある段差です。
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この段差は桜堤防(天神堤)と呼ばれていて、海抜の低い挙母の町を水害から守ったそうで、今でもその一部の桜の古木が数本残っています。
次に訪れた所は喜多町にある浄久寺(じょうきゅうじ)というお寺です。
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元は浄土宗の修行道場だったので、門前に結界石(宗教上特別の意味をもつ地域を示すために建てられた石)があり、「不許葷酒肉入門内」と刻まれています。
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この文字の意味は、「葷(くん)、酒、肉を持って、この門の中に入ることは許しません」ということで、葷とはネギ・ニンニク・ニラ・ラッキョウなど、においの強い野菜のことをいいます。
ことわざにも葷酒山門に入るを許さずという言葉があります。

そんな説明を聞きながら、お寺のすぐ近くにある喜多町の山車蔵にやってきました。
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挙母祭りの喜多町の山車がこの中に収められています。
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再開発の工事中には、近くに移動していたものを、ビルの工事が終わって、また元の場所に戻されたものです。
この山車蔵の裏側には、喜多神社も元の位置に再建されていました。
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真新しい銅板の屋根が光っている祠には神明宮・津島神社・秋葉神社の3体が祀られています。
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鳥居や常夜灯や狛犬などの石造物は、工事前の物がそのまま戻されています。
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喜多町の地名は新町→北町→喜多町と名称が変わってきており、喜多神社の常夜灯には「北町」の文字が刻まれています。
ちなみに、挙母の町には挙母城(桜城)を中心に東西南北の町名が残っています。

喜多神社の後には豊田市駅前通りに行き「KiTARA周辺ぶらり」の散策を終わりました。
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すっかり姿を変えた駅前北地区の建物と歩道です。
夜にはイルミネーションストリートとなって綺麗な駅前道路になっているようです。

ぶらりとKiTARAの周辺を歩きながら、今のとよたと昔のとよたを楽しむことができた時間でした。