江戸時代に人々が行き来した街道の中の一つ、尾張名古屋から信濃の飯田を結ぶ旧飯田街道には諸説があり、歴史的にも時代と共に経路が変わって複数のルートが存在しています。
現在では、国道153号線を飯田街道と呼ぶことが多いですが、江戸時代から明治期では、名古屋市から豊田市を経由して長野県に入る旧飯田街道は、豊田市内に流れる矢作川を越えるための手段の変化で、街道の経路がいろいろと変わっていたようです。
そのことが説明された案内板が、矢作川に近い豊田市平戸橋町の名鉄三河線の平戸橋駅近くの旧飯田街道に有りました。
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猿投台地区コミュニティ会議で立てた柿野街道散策コースの案内板の一つです。
飯田街道の変遷の部分拡大しますと、矢作川を越えるための方法の変化で、4つのルートの変遷が書かれていました。
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猿投台地区の御船と越戸で、4つに分かれる前の飯田街道は豊田市四郷町のある井郷(いさと)地区になるので、まずは四郷町の旧飯田街道の痕跡を探しに出かけてみました。
四郷町下古屋にある白壁に黒い板張りの建物は、江戸時代末期創業の酒蔵の浦野酒造です。
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この建物の南側に沿うように未舗装の細い道があり、井郷地区コミュニティ会議が立てた旧飯田街道(旧中馬道)と書かれた表示板が掲げられています。
散策する人の姿を見ると、歴史を感じる光景が有りました。
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酒蔵の建物の角を曲がって、旧飯田街道が続いていきます。
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ゆるやかなカーブを曲がると常夜灯が有りました。
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飯田街道を通る人の安全を見守っていたものだったと思われます。
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この道を真っすぐに進むと、観音堂と弘法さんと書かれた案内板がありました。
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たくさんの石仏が並べられた前を通り、ゆるやかな坂道を登って行います。
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坂を上り詰めた所の四郷町山畑の交差点の角に石柱の道標が有りました。
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高さがおよそ1.5mの角柱の3つの面に文字が刻まれています。
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歴史を勉強している知人の話では、上の写真の文字は「左 せんくわうし道」と書かれているというこで、「わ」のもじは「王」のくずしで、濁点は使わないそうです。
現代文で書くなら「左 ぜんこうじ道」となります。
石柱の横に井郷(いさと)まちづくりの会で作られた案内板が有りました。DSCN9723

この道標(みちしるべ)は江戸時代末期の嘉永3年(1850年)に立てられたもので、三面に刻まれている文字は、今の漢字に直すと「右・伊勢宮名古屋道」「左・善光寺道」「左・岡崎道」と判読されると説明されています。
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この先、東北東の方向に進んで行き御船へつながるルートが、飯田街道の初代と二代目の飯田街道で、東南東の方向に進んで行き越戸へつながるルートが三代目と四代目の飯田街道になります。
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大きな川を渡るのに舟から橋になり、その橋が流されて場所が変わり、また交通手段が人馬から自動車に変わるなど、どんどん新しい道路が出来て古い街道が消え去ってしまうことが多い中で、江戸時代からの古道が残っている数少ない四郷町の飯田街道です。