旧飯田街道は、名古屋から豊田市足助を通り信州伊那谷に通じる道で、豊田市四郷町から御船町・枝下町を通って行くルートが最も古い街道と言われています。
枝下歴史研究クラブの皆さんが猿投町誌を参考にして発行した「旧飯田街道と路線の変遷」という資料に、絵図で示された飯田街道の4つのルートが書かれたものがありました。
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上から順に、歴史の古いルートになっています。
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先日(1/20)のブログで豊田市四郷町を通る旧飯田街道を発信しましたので、今回は四郷町から御船町を通る旧飯田街道沿いの史跡などを紹介します。
四郷町山畑の交差点にあった道標から、北に100mほどの所の四郷町天道に秋葉山常夜灯がありました。
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横にある、天道自治区 井郷まちづくりの会が立てた説明板によると、この常夜灯は江戸時代の享和3年(1803年)に建立されたもので、井郷地区5ヶ所にある常夜灯のうちで一番歴史のある物のようです。
常夜灯の台座の石の周りには、ボコボコと驚くほどたくさんの穴が掘られています。
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この穴は「盃状穴(はいじょうけつ)」と呼ばれているもので、各地で神社の手水石や常夜灯などに見られ、江戸時代頃から病気の治癒や子宝を住民たちが、祈願しながら小石でたたいて穴をあけたものとも言われていますが、考古学者の間でも詳しくはよく分かっていないということです。
常夜灯の横には「火の見櫓」があります。
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この火の見櫓は昭和30年に地元有志により立てられたもので数年前に再塗装され、井郷地区唯一の火の見櫓として保存されています。
この場所から井上町と高町の境界の豊田市運動公園の南側を東に進んで行くと、運動公園西の交差点があり、ここから御船町に入ります。
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右手には、平成16年4月に廃線になった名鉄三河線の三河御船駅跡がありました。
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駅跡地前の道をさらに進み、ゆるやかな坂を下ると御船町縄手の県道11号線の交差点の手前、東海環状自動車道の高架の下にある常夜灯の場所に出ました。
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ここの常夜灯には何も説明板がありませんでしたが、井郷交流館でいただいた資料によると・・・
御船常夜灯は、江戸時代末期の安政4年(1857年)に建てられた秋葉山常夜灯で、飯田街道を往来する旅人の夜道の安全と「ここが御船」の印しとなった。
と書かれています。
常夜灯の写真を撮っていると、たまたま通りかかった地元の方が説明をしてくれました。
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常夜灯の場所は東海環状道の下あたりにあったものを、工事の時にこの場所に移動したもので、旧飯田街道も真っすぐだった道が、県道の交差点などが交差して一部が分断してしまったということでした。
常夜灯のすぐ近くの環状自動車道の側道の向こう側の田んぼの中に、御船城跡の石碑がありました。
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豊田市教育委員会が立てた案内板です。
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近くを流れる御船川を外堀として利用した平城だったそうです。
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御船城は、室町時代の文明2年(1470年)ごろに築城し、戦国時代の永禄7年(1564年)に落城しています。
旧飯田街道は、この御船城跡のすぐ南側を東の方角に枝下町の方向に進んで行きます。
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ガードレールは御船川に架かる橋です。
橋を渡って旧道を進んで行き、竹林を抜けると旧飯田街道が無くなり、県道11号線に出ます。
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しばらく県道を進んで行くと、いよいよ旧飯田街道は枝下町に入ります。