豊田市猿投台交流館でいただいた猿投台ふれあい散策ウォークの柿野街道コースの資料や猿投台史跡名所MAPを参考に、猿投台地区の史跡を訪ねたいと思っています。
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猿投台のふる里の成り立ちには、猿投台地区の東境を矢作川が清々往々と流れており、古代より水辺に人々が集まり集落を形成し、各地に古墳を築きました。と資料には説明されており、越戸町には2つの塚(古墳)が残っています。
猿投台史跡名所MAPの北部の枝下町・西広瀬町の地図と、
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南部の平戸橋町・青木町・花本町・越戸町・荒井町の地図です。
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越戸町にある2つの塚のうちのその1つが、地図の「43番」に書かれている、西小笹にあるキツネ塚(小笹古墳)です。
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フットサル競技のグランドが広がる造成地のすぐ西側にありました。
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昭和のはじめ頃まで一帯は雑木混じりの竹林で、先端の小高い塚の上には黒松の大木が立っており、松の根元に穴がありキツネ(狐)が住んでいたことから、誰いうとはなしに人々はキツネ塚と呼んだそうです。
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猿投台地区コミュニティ会議が立てた説明板には、寛延2年(1749年)の古絵図には、この塚に山の神が鎮座したとあるが、今日では天満宮に合祀されていると書かれています。
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高台にあり、周囲が一望できることから山の神の説もうなづけるとも書かれています。
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この古墳は、おそらく眼下に広がる田畑を開墾した一族の長の墓だと推測されるということです。

もう一つの塚は、地図の「27番」に書かれている、東小笹にある越戸塚(小笹古墳)で、フットサルのグランドの北側にあります。
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墓地の片隅に土が盛られた場所があり、その前に猿投台地区コミュニティ会議が立てた説明板がありました。
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この塚は宝隆院初代住職の鈴木政貞が埋葬されている古跡で、20年間僧侶としての厳しい修行を重ね、暦応3年(1340年)にこの地に移り、真言宗覚王山心王寺(のちの宝隆院)を建立して、初代住職となった。と書かれています。
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また、鈴木政貞については、三河鈴木氏の祖といわれる鈴木重善(善阿弥ともいう)の子、鈴木政則の嫡男として、嘉元2年(1304年)に生まれた人物です。
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矢作川流域右岸のこの地が、古くから人々の営みの地だったという歴史のあることを、これらの古墳がものがたっています。