飯田街道で豊田市石野地区の力石町から国道153号線を足助町へ向かって行く途中、豊田市野口町に入ると、国道わきに「しゃくやく街道」と「しゃくやく姫の塚」と書かれた案内板がありました。
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どんな所か気になったので、近くの空き地に車を停めて、しゃくやく街道に向かいました。
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国道153号線と並行している細い道が「ふれあいの道しゃくやく街道」です。
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戦国時代の伝説の地「しゃくやく姫の塚」と書かれています。
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この看板の近くに、屋根が着いた説明板が建てられていました。
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保存会の人が建てた説明板には「しゃくやく姫の塚」について書かれています。
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写真では読み取りにくいところがあると思いますが、こんな文が書かれています。

しゃくやく姫の塚
時は、1570年代、世はまさに戦国時代に入ったころのことである。
足助城の一つに「黍生城」という城があった。 (現在の足助町近岡)  
この城に女の子が生まれ、五月も半ばお城はしゃくやくが咲きみだれていたので、しゃくやく姫と名付けられた。
姫は すくすくと成長し、日に日に美しくなり「きれいなお姫さまだ」と城下の人々の評判になった。
しかし、ある日のこと 甲斐(山梨県)の武田の軍勢が攻めてきた。
城はたちまち猛火につつまれ姫は城を追われて、飯田街道を西へ、この 野口の地まで逃れて来た。
敵の追手はなおも厳しく、女の足ではとてもかなわない。
「もはやこれまで」と畑の中の 井戸に身を投げて最期をとげてしまった。
いつのころか、この井戸は埋められ塚となった。
その後、毎年5月になると この塚にはみごとなしゃくやくが咲き村人たちは姫をいとしんでいる。
しゃくやく塚保存会 小池鉦松
※黍生城は(きびゅうじょう)と読みます

説明板の前には、井戸の跡と思われる場所が有り、しゃくやく姫の塚と刻まれた丸い石が置かれています。
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埋められた井戸の跡からは「しゃくやく」花の芽が出ていました。
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戦いに敗れた小藩の姫を心有る村人たちが、ひっそり葬り、長く記憶に留めたいとする、やさしい心の感じ取れる伝説です。

しゃくやく(芍薬)の花が咲く頃の5月第4日曜日には、地元の人たちで「しゃくやくまつり」が行なわれているそうです。
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しゃくやく姫の塚のしゃくやく(芍薬)です。
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牡丹の花に似た、こんな花が咲きます。
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また日を改めて、5月の第4日曜日のしゃくやくまつりの時に訪ねてみようと思っています。