飯田街道の国道153号線を豊田市力石町から足助方面に走らせると、豊田市野口町に「『野口雨情』先祖ゆかりの地 野口雨情誌碑」と書かれた案内板が立つ場所があります。
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国道より少し南側の細い道で、しゃくやく姫の塚と隣接した場所です。
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真っすぐに伸びたこの道は、名鉄三河線が西中金から足助まで延長される計画線のために準備された用地で、残念ながら実現しなかった線路用地の跡だそうです。
その道路わきに野口雨情の詩碑が建てられています。

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5月のサツキの咲く頃に写した詩碑の写真です。

以下は「石野郷土史研究会」からの資料に書かれた説明を参考にしています。
豊田市野口町は、明治時代から大正にかけて、童謡の「七つの子」「シャボン玉」「雨降りお月さん」「赤い靴」「あの町この町」「証城寺の狸囃子」などを作詞した野口雨情の先祖ゆかりの地です。
野口雨情を童謡界では、北原白秋・西條八十と並んで三大詩人ともいわれています。
伝えるところによると、野口家は鎌倉時代末期から南北朝時代の南朝側の智将「楠正成(くつのきまさしげ)」ら一族の末裔(まつえい)で、子孫がこの地に身を隠したときから地名をもって野口姓を名乗ったとのことですが、その後も北朝側からの追っ手を逃れてこの地を去り、駿河の今川家への逗留(とうりゅう)を経て常陸(茨城県北茨城市)へ落ち着いたとのことです。
野口町にはそのゆかりから、野口雨情の「七つの子」の詩碑が建てられています。
隣接する「しゃくやく姫の塚」とともにシャクヤクの花の咲く頃にはとても風情のある景色を楽しめます。
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詩碑の横に、案内が書かれていて・・・
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野口雨情先祖ゆかりの地
 愛知県豊田市野口町
先祖は楠七郎橘正孝 二世の孫子より出づ 南朝の末期 足助
重範の裔族を頼り三河国加茂郡野口町に隠棲し地名を以て称す。

野口自治区は花、ホタル、歴史の町であり、野口雨情の先祖で楠木正季とつながる
由緒ある名家の里に 雨情の心情をたたえ伝えるものである。
2004年11月吉日建之
と刻まれています。

豊田市石野地区の国道153号線で野口町を通る機会が有りましたら、立ち寄ってみてはいかがですか。