豊田市足助町を通る旧飯田街道は、江戸時代には信州の善光寺へつながる伊那(伊奈)街道と呼ばれ、明治以降には呼び名を変えて飯田街道と呼ばれるようになった街道で、江戸時代の五街道の一つの中山道の脇往還として庶民の生活にとって重要な道でした。

この飯田街道は三河湾周辺で採れた塩や海の産物を信州へ運び、帰りには信州の山の産物を持ち帰って、尾張や三河方面に送り出しており、塩の道ともいわれています。

陸路での運搬には馬が使われていて、塩の道を中馬街道とも呼ばれています。

旧飯田街道の足助宿の入り口に、大きな馬頭観音が祀られた祠があります。
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その横に、足助町文化財保護会が立てた説明板がありました。
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馬頭観音の横には、荷物を運んでいた馬を休ませ、水を飲ませる大きな水飲み場がありました。
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水桶の石の正面に右から「午馬攝待水」と刻まれています。
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左端に薄く「施主 二本松 神谷藤兵衛」とも読み取れる文字が刻まれています。
その水桶の中には、今でも街道脇の斜面の隙間から湧き水が流れ落ちていました。

馬車組合の人たちによって建てられた三面八臂(顔が3面で腕が8本)の大きな馬頭観音座像です。
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大きな馬頭観音の周りには小さな馬頭観音が並んでいます。
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近くに大きな手書きの説明板がありました。
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何が書かれているのか読んでみますと・・・

観音様は女性的な美しい表情をしているのが常ですが、馬頭観音だけは怒りの表情をしています。
怒りの激しさによって苦悩や諸悪を粉砕し災難を取り除くとされております。
無病息災、動物救済、厄除け、旅行安全のご利益があるとされ、特に午年生まれの人にご利益があります。
名古屋・岡崎から入る古い道は「中馬街道・塩の道」といわれ、足助宿新町の手前に馬頭観音・不動明王・大日如来など数多くの石仏が祭られています。
足助の馬頭観音は大正の初めごろ巴川馬車組合の人々が建立したといわれております。
午馬摂待水と書いてある水槽に流れ込む水は獣沢の水と呼ばれる水で、ここで馬に水を飲ませて休み、この先の旅の安全をお祈りしたのでしょう。
隣にある石碑は松尾芭蕉の句碑で1867年に足助の俳人板倉塞馬が中心になって建立したものです。
何て書いてあるのか?
馬をさへ ながむる雪の 朝(あした)かな  はせを
”はせを”とは、昔の読みで芭蕉のことです。
「馬でさへも、ついつい見入ってしまう程、雪がきれいな朝ですね」
と言うことを言っています。

と、説明がされています。

後半の説明にあった松尾芭蕉の句碑が岩の上にありました。DSCN0777
芭蕉の句が刻まれた句碑です。
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足助の町はずれにあるので、古い町並みを観光に来られた人にはなかなか見てもらえない馬頭観音と芭蕉の句碑です。
足助宿の旧飯田街道はこの馬頭観音の場所から足助川に架かる落合橋を渡って足助の町に入って行きます。
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足助の町並みの地図です。
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の写真の正面に飯盛山があり、右から流れる川が巴川で、左から流れる足助川と合流します。
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足助川に架かる落合橋です。
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川を渡って振り返った落合橋です。
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そして、落合橋から足助の町並みに入って行きます。
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江戸時代の町並みの面影が残る住居が残っています。
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この道が、旧飯田街道といわれている道になります。
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この足助の町並みの建造物群は、平成26年(2011年)6月に愛知県では初めての「国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)」に選定され、多くの観光客が訪れる貴重な町並みの景観になっています。