豊田市野見山町の野見山山頂(標高119m)に野見神社があります。
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野見山展望台の駐車場の東側に神社があります。
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神社の入り口に立てられている石柱です。
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境内の横に巨石があり、神石と書かれています。
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山頂に建てられた神社の本殿や拝殿などの建造物の前に広がる境内の中央には、四角く土が盛られています。
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この場所は、神社への奉納相撲用の土俵でしたが、盛られた土の縁が崩れているなど風化が進んでいるので、見た感じでは最近は使われていないようにも思われます。
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本殿の横に、大正5年に愛知県が立てた大きな石標があり、この辺りが野見山山頂の標高119mのようです。
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境内には社記が刻まれた立派な石碑があり、由緒沿革が書かれていました。
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書かれている文章は・・・
祭神野見宿禰は出雲国造氏と同族で、天穂日命 14世の孫で、飯石郡野見の地に誕生し給う、 故に名とした。
斯て垂仁天皇7年勅命によって都に人を苦しめる悪虐非道な當麻の蹶速を一蹴をもって之を倒した。
又土師部を率いて土偶を作り殉死を禁ずる等偉大な功績があった。
後世相撲、土器の祖神として仰がる所以である。
當神社の創立は垂仁天皇22年(2006年前)で、延喜式神名帳(1075年前)に曰ふ 加茂七座の内の第一野見神社、国内神名帳に曰ふ正五位下野見天神であって、当時の社格国幣 小社に列せられて祈年祭の幣帛に預り給い、西三河著名の古社である。
後世渡辺藩の武運長久 領内安全の祈願所であった、明治41年10月 愛知県は神饌幣帛料供進神社に指定し、大正5年10月名勝旧跡として標柱を建て、昭和17年 10月内務省は郷社に昇格した。
終戦後宗教法人となり愛知県神社庁九級社となり、昭和52 年10月本殿以下の建物を改築した。

と書かれています。

訪ねた時に、近くの豊田市立美里中学校の生徒たちが清掃活動に来ていて、境内や参道の落ち葉などをほうきで掃いて集めていました。
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境内の東側の参道です。
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境内から南の方角に岡崎市奥山田町の三河富士と呼ばれている村積山が見えていました。
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掲示板には御朱印授与日のお知らせが書かれていました。
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この行事予定表によると神社の社記の記録では例祭が10月17日と書かれていましたが、最近は第3日曜日になっているようです。
野見神社の例祭とは、どんな祭りが行なわれているのか、一度見に行きたいと思っています。