豊田市久保町にある児ノ口(ちごのくち)公園内に「衣之君落別王命陵」と刻んだ石碑が建っています。
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この石碑のある場所には児ノ口社が鎮座しており、社の由緒には「前方後円墳があり、落別王(おちわけのおう)を祀っていること、虫歯に悩んだら炒り豆を供えて祈願すると速やかに治る」と書かれています。

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豊田市は、昭和34年(1959年)までは挙母(ころも)市でした。
挙母から豊田へと、トヨタ自動車の創業家の名前に変えたものです。
では、挙母とはどこからきたのでしょうか? 
古事記にその記録があるそうです。
古事記がつくられたのは710年。

それから今日までにたくさんの解説本が出版されています。
その古事記の垂仁天皇の項に、同天皇に落別王(おちわけのおう)という子どもがいて、「三川之衣君(みかわのころものきみ)之祖也」と記述されています。

三河の衣(ころも)君という豪族の祖先だというのです。

挙母は、この「衣」からきているともいわれています。
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三川之衣君 (みかわのころものきみ)は 三河国賀茂郡挙母郷(現・愛知県豊田市)を拠点としたとされる豪族でした。
古事記では同じく垂仁天皇皇子の大中津日子命の子孫として「許呂母之別(ころものわけ)」の記載もあるということです。


豊田市の歴史を語る史跡がこの公園にありました。