やつば池散歩道(豊田市)のブログ

やつば池(八ッ谷池)は、私が住んでいる豊田市朝日町と、その隣の丸根町に接する小さな農業用の溜め池です。              やつば池を周回する散歩道を元気に歩ける幸せを感じながら、地域の話題や情報を発信します。

2017年08月

2年前の平成27年8月31日に建物の老朽化などの理由で閉店した豊田市広路町「イオン豊田店」が、新しく建て替えられ、2年ぶりに豊田の街に帰ってきました。
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店の名前も「イオンスタイル豊田」と改名され、9月1日(金)にソフトオープン(近隣の皆さんにのみお知らせ)し、9月7日(木)にグランドオープンします。

西側の広い駐車場も綺麗に舗装がされています。
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線を引いたりしていて、最後の整備がされていました。
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東の国道から見たイオンスタイル豊田の建物の一部です。
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右側のお城は、カニ料理のお店の建物です。

イオンスタイル豊田の正面玄関です。
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オープンに伴う道路の混雑予想の看板が立てられていました。
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オープンセールが始まり、しばらくは周辺の道路が渋滞しそうです。
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混雑を覚悟して、新しくなるイオンスタイル豊田に出かけて見ようと思っています。

刈谷市野田町の野田八幡宮で、今からおよそ300年前の江戸時代に始まったといわれている雨乞いの奉納「平成29年度  野田雨乞笠おどり」が8月27日(日)午後4時から行なわれました。
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野田雨乞笠おどりに関して記録に残されている一番古い記述は、正徳2年(1712年)の『社家古文書』に見られます。
その後、伝統に輝くこの雨乞笠おどりも戦時中の昭和17年(1942年)を最後に中断し、まぼろしの物となりつつありました。

それから37年が経過した昭和54年(1979年)、刈谷市制30周年を期に地元から野田雨乞笠おどりの復活の機運が盛り上がり、野田青年団と地元の小学校児童の協力を得て、当時の経験者の指導により練習を重ねて、見事に復活することができました。
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これを機に、翌年の昭和55年(1980年)3月に「野田雨乞笠おどり保存会」が結成され、同年の11月東京における全国青年大会(郷土芸能の部)に愛知県代表として出場し、見事優秀賞に輝き、野田雨乞笠おどりは全国にも知られるようになりなした。
その後、昭和59年(1984年)8月に刈谷市無形民俗文化財に指定されています。


野田八幡宮は、白鳳5年(676年)創建と伝えられる神社です。
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江戸時代から藩主の信仰が厚く、刈谷藩の時代には市原稲荷・知立神社と並んで領内三社として位置づけられていました。
古くから「八幡さま」と親しまれ、産土(うぶすな)の神として村人の信仰を集めてきました。

社記によると、野田八幡宮は「八幡大神(応神天皇)」・「物部祖神」などが祀られています。
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刈谷市内では一番位の高い神社であり、現在は末社が23社あります。
長い参道の途中に真っ赤な鳥居がありました。
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扁額の文字が薄くなっていましたが「野田八幡宮」と確認できます。
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さらに参道を奥に進むと、境内がひろがり、その奥に社殿があります。
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午後2時半頃の境内では、雨乞笠おどり保存会の人達や地元自治会の人達で、これから始まる雨乞笠おどりの準備が行なわれていました。
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拝殿でお詣りして、境内に隣接している野田史料館を見学させていただきました。
野田地区が建設した地区の史料館で、昭和56年に開館しました。
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江戸時代から明治時代にかけての野田村の古文書を中心に、野田八幡宮に伝わる刀剣類、甲冑類などが保管されており、水野勝成奉納の総髪兜そうごうのかぶと、棟札、野田村文書、野田八幡宮絵馬群(いずれも刈谷市指定有形民俗文化財)が所蔵されています。
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水野勝成奉納の総髪の兜です。
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エアコンがきいている涼しい館内では、雨乞笠おどりのVTRが放映されていて、時間を過ごさせていただきました。
開始30分前の午後3時半頃には式典の準備が整い、椅子が並べられ来賓者の皆さんがテントの下に集まってきています。
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子供たちのためにスーパーボールすくいが始まっていました。
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雨乞笠おどりを演じる浴衣姿に赤ダスキの子供たちも集まってきて、かき氷を食べながら楽しそうにしています。
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午後4時、野田雨乞笠おどり奉納の式典が始まりました。
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野田八幡宮の宮司による神事が執り行われていきます。
祝詞奏上(のりとそうじょう)や、
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主催者、来賓者の玉串奉奠(たまぐしほうてん)、
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雨乞笠おどり出演者の代表も玉串を奉げました。
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野田雨乞笠おどり保存会会長による主催者挨拶や、刈谷市長初め多くの議員さんら来賓の方々の祝辞と、40分近いチョット長い式典でした。
早く雨乞笠おどりが始まらないかと待ちわびる人たちで、境内にはたくさんの人が集まってきていました。
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式典が終わり、椅子が片づけられて、いよいよ雨乞笠おどりの始まりです。
午後5時ごろ「大人の部」が始まりました。
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太鼓を真ん中にして、左右に7人づつの演技者が並びました。
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浴衣に赤いたすきを掛け、一文字菅笠をかぶって、両手に桐の木で作った「つつろ」という短いバチを持ちます。
菅笠は紅白に彩られ、華やかな装いです。

ほら貝の合図で「雨乞のうた」が歌われ、雨乞笠おどりが始まりました。
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雨乞笠おどりは、踊り手が2人1組になり、太鼓をはさんで向かいあいます。
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雨乞の唄と采配に合わせて踊り手が踊りながら太鼓や太鼓の背を打ちます。

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この雨乞笠おどりは、非常にシンプルで良く言えば「素朴」、見方によれば「地味」といえる、古きよき時代の、農民の切実な願いがあらわれている趣のある踊りになっています。

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踊りの途中で、雨が降ってこないかと空を見上げる動作もありました。
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二人で太鼓に腰掛けて踊りが終わります。
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踊りには数種類あって、それぞれ見せ所があります。
踊りも順番があり、「場ならし」→「三拍子」→「ささら」→「綾」→「おさめ」が基本の順番です。
「場ならし」で歌われる「雨乞のうた」の一部です。
 がたぎたよ 花も消えよ その花をも消よ
 がたぎたよ 一人一人としのばはよかろう
 しのばぬ人は なもよかろう

 (以下省略)

およそ15分で、「大人の部」の7組が踊り終えました。
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この後は「子供の部」です。
高校生2名を含め中学生から小学生、こども園の年長組や年中組も参加しての総勢47名の雨乞笠おどりです。
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菅笠を付けてもらい準備も楽しそうです。
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子供の部のまとめ役の人は、これから踊る順番を一人一人名前を呼んで確認をしています。
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準備が整いました。いよいよ「子供の部」の雨乞笠おどりの始まりです。
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人数が多いので4つの太鼓が並べられました。

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踊りの内容は大人と同じです。
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お孫さんの可愛い踊る姿に、カメラを持つ人たちの笑顔がはじけます。
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陽も傾き、涼しい風が吹き抜ける野田八幡宮の境内では、まだまだ踊りが続いています。
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夕方6時近く、長い伝統がある素朴な雨乞笠おどりを楽しんで、振舞いでいただいたポン菓子を手にして帰りました。

かつて豊田市でも、挙母や足助で芸者さんたちが活躍していた時代がありました。

そんな芸者さんたちの活躍を伝える企画展が豊田市郷土資料館で行なわれています。

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入場無料で9月3日まで、第2展示室で見ることができます。

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現在では芸者や花街の文化は、京都などの限られた観光地に見られるのみですが、かつては豊田市域でも挙母・足助などで芸者が活躍していました。
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今回の企画展では、市民へのインタビューや提供いただいた資料によって明らかになった昭和30~40年代の豊田市域の芸者と、彼女たちが彩ったお座敷の文化について紹介しています。

当時の食事に使われた食器類も展示されていました。
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昭和初期の挙母は中心産業の蚕糸業が衰退し、「破れころも」と言われるほどさびれていました。
その中で行なわれた芸者による「挙母小唄」「挙母音頭」の披露は町民を元気づけたようです。
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また、足助の芸者たちが名古屋まで宣伝に行った香嵐渓には、現在も多くの観光客が訪れています。
あまり知られていないことですが、芸者は自らの芸でまちを活気づけ、その振興を長きに渡って支えていたのです。

夏休みも残り少なくなった8月25日(金)、豊田市陣中町の豊田市郷土資料館では「夏休みこども月間」ということで「古代人になってみよう!」という特別展示が行なわれていました。
郷土資料館の玄関横に、古代人が行なっていたという火おこし体験の道具が置かれています。
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棒を回転させる板とひもが付いた部分と、
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回転棒を受け止める、穴の開いた板がその道具です。
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火起こしに挑戦してみよう!
と手順がくわしく書かれた説明がありました。
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説明書に書かれたように、ひもを棒に巻き付けて、ひもの着いた板をタイミング良く上下させると、棒がクルクルと回転します。
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動画じゃないのが残念ですが、5分、10分とこすり続けると、やがて棒の先から煙が出てきて、さらに続けると木の粉が黒くなって火種が出来ました。
見るのだけじゃなくて、実際に体験できるすばらしい展示でした。

8月23日(水)、秋の彼岸までまだ1ヶ月もあるというのに、豊田市宮上町の逢妻女川の堤防に今年も早咲きの彼岸花が咲き始めました。
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これから9月末の本格的に彼岸花が咲き、堤防一帯が真っ赤に染まるころまで、地元の逢妻地区の皆さんで逢妻女川クリーン活動が展開されて、堤防の草刈りやゴミ拾いなどが行なわれています。
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早咲きの彼岸花は逢妻女川の宮上橋の下流右岸に30mほどの場所に植えられています。
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まだ咲き始めの状態ですが、今年はいつもの年よりも早くに咲いたように感じます。
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きれいに刈り込まれた緑の草むらからニョッキと首を出して真っ赤な花をひろげています。
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狭い部分ですが、一足早い秋の景観が楽しめます。
短い期間で早咲きの彼岸花は見頃が終わってしまいます。

あと3週間も過ぎたころには、今年も100万本の彼岸花が咲き誇る宮上町周辺の逢妻女川の景観をまたブログで紹介したいと思っています。

今まで豊田市内で一番高い建物は、名鉄豊田線の浄水駅前に平成24年2月に竣工した「ゼスタ浄水タワー」で、地上21階建て、高さが70.92mでした。
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あれから5年が経過し、豊田市内の No.1 高層ビルの座を別のビルに譲ることになりました。

入れ替わって No.1 になるビルは、今年(平成29年)の秋に竣工予定の豊田市駅前の豊田市駅前通り北地区市街地再開発事業で建設中の、「 KiTARA(パークタワー豊田)」で、地上26階建て、高さ84mということです。
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喜多町3丁目の交差点の角に天高くそびえています。
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ビルの工事で囲われていた足場もまもなくすべて外されそうです。

ビルの裏側(北側)からの景観です。
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総戸数161戸のタワーマンションで、すでに完売と聞いています。

豊田市駅前から見た景観です。
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再開発計画地には、西側に複合映画館(イオンシネマ)や商業施設の入る商業・業務棟、そして敷地中央には高齢者施設棟、屋上緑化や屋上菜園も設置される予定になっています。

8月21日 (月) 、トヨタ自動車及び関連会社のカレンダーでは、先々週の8月11日の祝日からお盆をはさんで昨日までの10日間の夏季長期連休でした。
連休が明け、今日から平日の豊田市内の状態に戻りました。
学校の夏休みも残すところ10日となり、暑い夏ももう少しといった感じです。
暑さが和らいできた夕方、日傘を片手にやつば池を散歩をする人たちの姿がありました。
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やつば池散歩道の花壇にも秋の花のキバナコスモスが咲き始めていました。
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昨年咲いていたコスモスの種がこぼれて、自然に生えて育ったキバナコスモスです。
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ピンク色系のコスモスと一緒に育っているので、これから秋になると黄色とピンクのコスモスの共演が見られそうです。

先日、豊田市近代の産業とくらし発見館で開催されている企画展の「とよたの製瓦業~いぶしの輝き~」を見に行った時に、豊田市内にも大正時代から昭和にかけて瓦を焼いていた「達磨窯(だるまがま)」が残されている所が有るということだったので、8月19日(土)に訪ねてきました。

名鉄三河線の土橋駅に近い、豊田市寿町の民家の横にその場所がありました。
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「寿町の達磨窯」は豊田市指定有形民俗文化財ということで、豊田市教育委員会の案内看板と説明板が立てられていました。
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説明板には大正10年頃につくられ、昭和56年まで使われていたと書かれています。
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これが正面から見た現存する達磨窯です。最大長6.1 メートル、高さ2.1 メートルあります。
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窯を正面から見た姿が禅僧の達磨大師に似ていることが達磨窯の名前の由来です。
達磨大師ってどんな人なのか、ネットで調べたらこんな写真が有りました。
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達磨大師像です。この窯に似ているといえば似ていますかね!
達磨大師という人は、5世紀後半から6世紀前半の人で、中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧です。

達磨大師はこれくらいにして、達磨窯に話を戻します。
斜めから見た達磨窯です。
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屋根が出来る以前は、当然のこと雨ざらしだったため、窯の表面の土が風化していたと思われます。
新しい土で表面を補修したあとがあります。

上部の煙突も新しく作られたようです。
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両サイドの焚口も補修されています。
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崩れてしまった部分の補修がされて、瓦を焼いていた当時の姿に近い状態になっているようです。
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いぶし瓦を一度で目板(桟瓦)で900~1000枚焼くことが出来ますが、窯の中の温度が一定ではないために、すべて良いものが出来るわけでは無く、半数近くが不良品になったと聞きました。
また、最盛期にはひと月に8回も焼成を行なったこともあったそうです。

全国的にも希少価値の達磨窯なので、豊田市の歴史遺産として、今後も大切に保存していただきたいものです。

豊田市の市街地に賑わいを生み出そうと、豊田市西町のとよた参合館のロビーに、飲食や雑貨作りなどを楽しめる憩いの場「アトリウムパーラー」が9月3日(日)までの期間限定で設けられています。

その会場の一角に、県の有形民俗文化財に指定されている挙母まつりの8台の山車の中から、西町の山車が展示されています。
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アトリウムパーラーはコーヒーや菓子、軽食を販売する屋台があり、周りに並べられた椅子やテーブルで飲食できます。
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軽食のメニューは日替わりで市内外のパン店や弁当店などが交代で出店しているそうです。

この会場への山車の展示に協力した地元の自治区長は「アトリウムパーラーでくつろぎつつ、美しい山車を間近でじっくりと見てほしい」ということで、9月9日(土)まで展示される予定です。
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お祭りの時のような祭り囃子の笛や太鼓は聞けませんが、美しい彫刻や刺繍の絵が静かな中でゆっくりと見ることができます。

山車の正面にある霞幕(かすみまく)には金文字で「金聲玉振(きんせいぎょくしん)」と刺繍されています。
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「金声玉振」の四文字熟語の意味は、才知や人徳が調和して、よく備わっているたとえで、すぐれた人物として大成することをいいます。
中国で、孟子が孔子を賛美したとされる言葉だそうです。

鮮やかな赤色の大幕は、楠木正成父子の絵で大正時代のものです。
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西町の文字がいろいろな所に見られます。
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参合館の3階からは、祭りの時にはなかなか見られない山車の屋根の上が見られます。
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毎年10月の第3日曜日とその前日の挙母まつりの本番では、この屋根に乗った若衆たちが、豪快に紙ふぶきを舞い散らす光景が見られます。

冬には多くの渡り鳥で賑わうやつば池ですが、夏のやつば池は水面に鳥も少なく静かです。
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そんな中で、水面にポツン一羽、浮いたり潜ったりしている鳥がいました。
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この鳥は「カイツブリ」です。
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カイツブリは漢字で「鳰」とも書きます。
陸を歩くのが苦手な鳥で、水に潜るのが得意な鳥で、「水に入る鳥」を意味する和製漢字です。
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可愛い外見と潜水する姿は、古代から日本人の関心を寄せていました。
「カイツブリ」の名は室町時代に定着し、奈良時代には「にほどり」とも呼ばれていました。
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滋賀県の琵琶湖にはカイツブリ科の鳥が多く、かつて琵琶湖は「鳰海」(にほのうみ)と呼ばれていました。

その由縁から、カイツブリは滋賀県の県鳥に制定されています。

8月13日、お盆の入りです。
やつば池散歩道にホオズキの実が色付いている場所がありました。
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ホオズキといえば、漢字で「鬼灯」とも書きます。
ちょうどこの時期のお盆では、ホオズキの赤い袋の果実を提灯に見立て、枝付きで精霊棚(盆棚)に飾ったり、お墓の飾り花として使われる風習があります。
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「ほおづき」の名は諸説ありますが、その実の赤くふっくらした様子から、頬(ほほ)を連想したもので、頬付きからホオズキになったといわれています。
また袋の中の果実を取り出し、種を抜いて鳴らして遊ぶ子どもたちの様子から「頬突き」の意であるともいわれています。
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ホオズキの実にはカメムシが付きやすいということですが、やつば池散歩道のホオズキもよく見ると実の中にカメムシがいるようです。
無農薬で自然に育っているので、虫の害は仕方がないですが、どこから現れるのか虫たちの生命力にも感心させられます。

やつば池散歩道の片隅にピンク色の涼し気な花が咲いています。
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アサガオじゃなくてヒルガオです。

なぜかアサガオと違って鑑賞用に栽培されることは殆どありません。
また地下茎で増え、一度増えると駆除が難しいため、大半は雑草として扱われています。

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アサガオと同じように朝開花しますが、昼になっても花がしぼまないことからこの名があるようです。
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毎年、やつば池散歩道の土手の雑草の中から、夏になると元気に顔を出して咲いています。

そんなヒルガオの花言葉は「絆(きずな)」です。
根で組み合っているので、「絆」という花言葉になったといわれています。
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余談ですが、フランスでは、つる性で絡みつく様子から官能的なイメージを連想させるなど、「昼の美人」「危険な幸福」という花言葉がつけられています。
「昼顔」という名前の娼婦として生きる女性がテーマのパリを舞台とした映画「昼顔」が作られたように、海外では「情事」にちなんだイメージが強いといわれています。

8月初旬、暑い日照りが続く「やつば池散歩道」の花壇に咲く夏の花たちです。
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暑さが大好きな花、カラフルなポーチュラカです。
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ポーチュラカが日本に広く普及したのは1990年の大阪花博がきっかけだそうです。
真夏の暑い時期に最小限の手入れで育ち、色とりどりの花を絶やすことなく咲かせることから、夏花壇の定番植物として一気に普及しました。
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マツバボタン(松葉牡丹)が咲き誇っています。
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葉っぱを松葉、花をボタン(牡丹)になぞらえてこの名前があります。
炎天下にもよく花を咲かせるので「ヒデリグサ ( 日照草 ) 」とか、茎を切って土に挿しておくと簡単に根が出てふえるので「ツメキリソウ ( 爪切り草 ) 」もしくは「ツミキリソウ ( 摘み切り草 ) 」の別名があります。
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やつば池散歩道のこの花壇に咲いているポーチュラカもマツバボタンのどちらの花も、刺し芽で育てたものです。

マツバボタンの花の近くに咲いているヒャクニチソウ(百日草)に、花の蜜を求めてアオスジアゲハが飛んできていました。
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夏バテしないように(?)、花から花へと移動して栄養補給をしている姿がありました。

8月9日(水)、立秋も過ぎ、暑中見舞いが残暑見舞いに変わりましたが、まだまだ暑さはこれからです。
やつば池(八ツ谷池)の浅瀬には、葦(よし)や蒲(がま)が青々と生い茂っています。
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その池の水面に、葦の葉に止まりながら、ひらひらと舞い飛ぶトンボが数匹いました。
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このトンボは、日ごろよく見るシオカラトンボと違って、後ろの翅(はね)が大きく青紫色をしていて、金属のような光沢を持つチョット変わったトンボでした。
調べたら、チョウトンボという名前でした。
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翅(はね)が全体的に黒っぽい色でおおわれ、光の角度によって虹色に光ります。
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この翅(はね)の色の見え方がとても楽しめるトンボのひとつです。
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6月中旬ころに羽化し始め、9月ころまで見られるということです。

8月5日(土)、豊田市近代の産業とくらし発見館で企画展「とよたの製瓦業」の関連行事として、ギャラリートークと鬼瓦作りの実演が行なわれました。
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企画展にあわせて、くらし発見館の玄関横に鬼瓦が並んで置かれていました。

鬼瓦職人の方の作業が見せていただけるということだったので参加させてもらいました。
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発見館の展示室で学芸員の方のギャラリートークが行なわれた後、同館内の作業場へ移動しました。
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豊田市内の鬼瓦店で、昭和30年代に数年間、型起しによる鬼瓦つくりをされていたという、鬼瓦職人の西村勇男さんによる鬼瓦作りの実演が行われました。
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西村さんが持参した石膏で出来た型に、程よい状態に練り込まれた粘土を隙間が出来ないようにと、少しづつしっかり貼りつけていきます。
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参加された人たちは、その作業を興味深く見つめています。
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粘土を平らにしたり削ったりする小道具は全て西村さんの手づくりだそうです。
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上の型を重ね、その周りに2センチぐらいの外回りを隙間なく並べます。
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その後、板で押さえて型を裏返します。
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型を外すと、鬼瓦の形になった粘土が現れました。
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余分な部分を手作りの小道具を使って削り取って仕上げていきます。
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職人の技といった腕の見せどころです。
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ここまで作るのに25分程度しか掛かっていません。
しばらく瓦を作っていなかったと言っていたのに、体に染みついた技術はそのままなんだと感心しました。

表面をきれいに仕上げてツヤを出し、最後に細かい飾りや模様を付けて作業は終わりです。
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粘土を乾燥させて、焼けば鬼瓦の完成です。

日頃なかなか見ることも聞くこともできないことを体験させていただきました。
とても楽しい1時間でした。




豊田市喜多町にある豊田市近代の産業とくらし発見館では、平成29年度の企画展として7月25日から10月1日まで「とよたの製瓦業(せいがぎょう)~いぶしの輝き~」が開催されています。
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休館日は毎週月曜日で、入館無料です。
8月5日(土)に見に行ってきました。
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企画展のパンフレットには、
かつて、豊田市域には多くの瓦製造所があり、瓦を焼くダルマ窯から立ちのぼる煙は一つの風物でした・・・・・
と書かれていて、展示室には説明用のパネルや、さまざまな瓦の製作道具が展示されています。
豊田市域における瓦製造の歴史から、
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いぶし瓦を焼いたダルマ窯や、
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いぶし瓦を作る工程や、
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現在は無くなってしまった豊田市域の瓦製造所が説明されています。
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また、豊田市で活躍した鬼瓦職人の話も紹介されています。
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昭和30年頃には豊田市内で40か所を超えた瓦製造所も、昭和40年代に入ると、ダルマ窯は一つまた一つとその姿を消していったそうです。
その理由は、自動車産業の発展に伴う人口増加により市街地化が進み、瓦を焼く黒煙が嫌われたことや、瓦製造は重労働だったことや、碧南や高浜の大手企業に対し豊田市内は家内工業的な規模がほとんどで、資本面で対応が出来なかったなどがあげられるようです。
平成5年まで製造していた豊田市の花園町の寺田製瓦所も、伊勢湾岸道路関連の工事のため廃業となり、豊田市域の製瓦業は終わりを告げました。

現在、豊田市内で残っている唯一のダルマ窯が寿町にあります。
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大正10年ごろにつくられ、昭和56年まで使用されていたもので、歴史的に貴重な遺産として市の有形民俗文化財に指定されて大切に保存されています。


8月2日(水)の南信州でのブルーベリー狩りの帰りに、天然水の湧水の給水場がある「福寿の清水」へ寄り道をしました。
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国道153号線の平谷の交差点から国道418号線で恵那市方面に向かい、車で10分ほどの長野県と岐阜県の県境の場所の恵那市上矢作町にあります。
平谷村から恵那市への国道418号線は工事中のため、交差点近くから通行止めになっていましたが、警備員の人に聞いてみたら清水までは通行できるということで、通行が許可されました。
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福寿の清水の場所に到着すると、ここから恵那市側には「車両通行止め」になっていました。

平日の午後だったためか、給水場には誰もいなくて、3本のホースからはコンコンと湧水が流れ落ちていました。
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豊富な湧き水を自由に飲用してもらおうと、長野県平谷村境を流れる合川のすぐ脇の岐阜県恵那市上矢作町に給水場が作られ、東屋も設置されています。
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平成16年10月に恵那市へ編入合併された上矢作町の地域振興を図ろうと、恵那市が岐阜県の補助金500万円で平成20年12月に整備し、地元のまちづくり委員会が管理しているそうです。
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水質の特徴は硬度9.7の「超軟水」で、味がまろやかな天然水です。

世界保健機関の基準では、硬度120未満が軟水で硬水は120以上です。
硬度が低いほどまろやかで飲みやすく、素材の風味を大切にする日本料理や、香りを楽しみたいコーヒーや紅茶のほか、水割りにも最適です。
他にも、老廃物を排出しやすく美肌効果にも優れているといわれています。

準備していたポリタンクやペットボトルに福寿の清水を満タンに汲んで持ち帰りました。


8月2日(水)朝早く、ブルーベリー狩りの農園を目指して、豊田市街地から国道153号線(飯田街道)で稲辺地区を経由して南信州へ向かいました。

毎日30℃を超える真夏日が続いていますが、稲武地区まで行くと30℃まで気温は上がらず涼しさを感じさせます。

午前10時ごろに到着したブルーベリー農園です。
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今年も例年通り1人 1000円で2時間食べ放題、採り放題で、採ったブルーベリーは持ち帰えられるという、余りにもうれしいブルーベリー狩りが出来る場所です。

農園のおばあちゃんの話では最盛期が過ぎたそうですが、まだまだたくさんの実が色付いています。
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紫色に熟した実は手を伸ばして摘まむと、ポロポロと枝からこぼれ落ちてきます。
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口に入れると甘酸っぱい味がひろがります。
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ブルーベリーの木は高く伸びて2mを超えるまでになっています。
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高い所の実は細い枝を引っ張って収穫します。
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完熟の柔らかいブルーベリーの実を口に頬張りながら、ほとんど休みなく2時間採りつづけました。
空には雲が覆っていて陽射しが無く汗をかくこともなくブルーベリー狩りが楽しめました。

2時間の成果です。
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家で計ったら、なんと2.4 ㎏もありました。

今年も冷凍保存しながら、ブルーベリーのジャムが楽しめます。
農園のおばあちゃんからは「また来年も採りに来てね!」って声をかけられました。

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