やつば池散歩道(豊田市)のブログ

やつば池(八ッ谷池)は、私が住んでいる豊田市朝日町と、その隣の丸根町に接する小さな農業用の溜め池です。              やつば池を周回する散歩道を元気に歩ける幸せを感じながら、地域の話題や情報を発信します。

2018年01月

1月31日(水)、豊田市平芝公園の梅林へ行ってみました。
例年なら1月末には早咲きの梅が咲いていたのですが、今年は1月に入って平年より寒い日が続いている影響で、まだほとんど咲いていませんでした。
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早咲き紅梅の「オオサカズキ」という品種の枝先ですが、まだつぼみの状態です。
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公園内をまわってみましたが、白梅はまったく咲いているものが無く、
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申し訳なさそうに咲き出していたのが「ヤエカンコウ(八重寒紅)」でした。
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枝先に数輪だけ咲いていました。
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昨年や一昨年のこのブログで、平芝公園の梅だよりを見ていただければ分かりますが、1月下旬にはヤエカンコウなどの早咲きの梅はもう見頃になっていました。
下の2枚の写真は昨年(2017年)1月24日の平芝公園のオオサカズキです。
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気象情報では、まだしばらく寒い日が続き、最高気温が10℃まで上がりません。
あたたかくなって開花が待ち遠しい平芝公園の梅林です。

公園の近くに、今年の梅まつりのポスターが貼られていました。
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例年の開花状況を予想して、3月3日・4日にメインのイベントを計画しているようですが、今年のこの開花状況では、あと1ヶ月でどこまで開花が進むかが気になるところです。
このブログ(やつば池散歩道)で、今年も時々ですが、平芝公園の梅の開花状況をお伝えしたいと思っています。

明日(1月31日)に、日本全国で部分食の始めから終わりまでを見ることのできる、皆既月食が起こります。
下の写真は、一日前の1月30日(火)午後10時頃、我が家から見た月齢13.0の月です。
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国立天文台のホームページで紹介されていた情報です。
月食の時刻は東京と書かれていますが、全国どこからでも同じ時刻になります。
月は午後8時48分に欠け始め、午後9時51分には完全に欠けて皆既食となります。
皆既食が1時間17分続いた後、午後11時8分には輝きが戻り始め、真夜中を過ぎた午前0時12分に元の丸い形となります。
多くの方にとって比較的観察しやすい時刻に起こる月食です。

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およそ3年前の、2015年4月4日に見られた前回の皆既月食は、継続時間がわずか12分間と短かったのですが、今回は1時間17分もの長い時間にわたって楽しめるのが特徴です。

明日の豊田市の天気予報では、夕方から曇りとなっています。
はたして、皆既月食が見られるかどうか、ちょっと心配な予報です。

旧飯田街道は、名古屋から豊田市足助を通り信州伊那谷に通じる道で、豊田市四郷町から御船町・枝下町を通って行くルートが最も古い街道と言われています。
枝下歴史研究クラブの皆さんが猿投町誌を参考にして発行した「旧飯田街道と路線の変遷」という資料に、絵図で示された飯田街道の4つのルートが書かれたものがありました。
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上から順に、歴史の古いルートになっています。
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先日(1/20)のブログで豊田市四郷町を通る旧飯田街道を発信しましたので、今回は四郷町から御船町を通る旧飯田街道沿いの史跡などを紹介します。
四郷町山畑の交差点にあった道標から、北に100mほどの所の四郷町天道に秋葉山常夜灯がありました。
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横にある、天道自治区 井郷まちづくりの会が立てた説明板によると、この常夜灯は江戸時代の享和3年(1803年)に建立されたもので、井郷地区5ヶ所にある常夜灯のうちで一番歴史のある物のようです。
常夜灯の台座の石の周りには、ボコボコと驚くほどたくさんの穴が掘られています。
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この穴は「盃状穴(はいじょうけつ)」と呼ばれているもので、各地で神社の手水石や常夜灯などに見られ、江戸時代頃から病気の治癒や子宝を住民たちが、祈願しながら小石でたたいて穴をあけたものとも言われていますが、考古学者の間でも詳しくはよく分かっていないということです。
常夜灯の横には「火の見櫓」があります。
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この火の見櫓は昭和30年に地元有志により立てられたもので数年前に再塗装され、井郷地区唯一の火の見櫓として保存されています。
この場所から井上町と高町の境界の豊田市運動公園の南側を東に進んで行くと、運動公園西の交差点があり、ここから御船町に入ります。
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右手には、平成16年4月に廃線になった名鉄三河線の三河御船駅跡がありました。
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駅跡地前の道をさらに進み、ゆるやかな坂を下ると御船町縄手の県道11号線の交差点の手前、東海環状自動車道の高架の下にある常夜灯の場所に出ました。
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ここの常夜灯には何も説明板がありませんでしたが、井郷交流館でいただいた資料によると・・・
御船常夜灯は、江戸時代末期の安政4年(1857年)に建てられた秋葉山常夜灯で、飯田街道を往来する旅人の夜道の安全と「ここが御船」の印しとなった。
と書かれています。
常夜灯の写真を撮っていると、たまたま通りかかった地元の方が説明をしてくれました。
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常夜灯の場所は東海環状道の下あたりにあったものを、工事の時にこの場所に移動したもので、旧飯田街道も真っすぐだった道が、県道の交差点などが交差して一部が分断してしまったということでした。
常夜灯のすぐ近くの環状自動車道の側道の向こう側の田んぼの中に、御船城跡の石碑がありました。
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豊田市教育委員会が立てた案内板です。
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近くを流れる御船川を外堀として利用した平城だったそうです。
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御船城は、室町時代の文明2年(1470年)ごろに築城し、戦国時代の永禄7年(1564年)に落城しています。
旧飯田街道は、この御船城跡のすぐ南側を東の方角に枝下町の方向に進んで行きます。
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ガードレールは御船川に架かる橋です。
橋を渡って旧道を進んで行き、竹林を抜けると旧飯田街道が無くなり、県道11号線に出ます。
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しばらく県道を進んで行くと、いよいよ旧飯田街道は枝下町に入ります。



全国有数の洋ランの産地 ”東海市” で、毎年1月下旬に開催される東海フラワーショウ。
今年も1月28日 (日) に見に行ってきました。
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広い駐車場のある東海市市役所前からと、名鉄電車の太田川駅前の2ヶ所から、無料のシャトルバスが出ていて、会場の東海市民体育館まで連れて行ってくれます。
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東海フラワーショウは、愛知県下2位の洋ラン出荷量を誇る「花のまち」東海市を代表する花フェスタで、入場無料です。
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会場内では、コチョウランやカトレヤなど豪華なランの花を惜しみなく使った飾り付けに圧倒されます。
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生産者の皆さんが丹精を込めて育てた洋ランなどで、創意工夫を凝らして飾り付けた展示ブースは一見の価値ありです!
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毎年多くの人が足を運び、色鮮やかな花の美しさに魅了されています。
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洋ランといえば、シンビジウムやデンドロビウムが最近は人気があります。
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洋ランと観葉植物を上手に配置した展示ブースです。
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フラワーコンテストや洋ラン・観葉植物などの即売会、園芸相談、園芸教室など、多彩なイベントが行われます。
下の写真は、今年のコンテストの入賞作品です。
中央の花が最優秀賞を受賞したデンドロビウムでタイトルが春蘭漫です。
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また、中央のカトレアが東海市長賞を受賞されています。
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他にも、素晴らしい受賞作品がずらりと並んでいます。
今年は寒さが影響したのか、日曜日でも人の出が多少少ないような感じがしたと、関係者の方が話していました。
こんなに素晴らしいフラワーショウを無料で見られる機会は少ないと思います。
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毎年1月に行なわれていますので、ぜひ東海市に出かけて、色鮮やかな花の美しさに魅了されてみませんか。



日本列島に記録的な寒波の来襲で、東京都心では2日連続で-3℃以下となり、これは53年ぶりのことだったそうです。
豊田市では、昨日(1月25日)の朝の最低気温が-7℃まで冷え込んだとのことですが、幸いにも雪雲が南の方にずれたことで、雪は薄っすらと積もった程度でした。
そして予報では積雪は無いという今日(1月26日)の朝、窓の外が一面の雪景色になっていて驚きでした。
朝食後の8時半ごろ、久しぶりの雪景色を見に、やつば池に出かけてみました。
一面に積もった雪景色の中に、通学の時に出来たと思われる足跡が残っていました。
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池の周りのフェンスの積雪の状態を見ると、積雪量は1~2センチほどのようです。
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やつば池散歩道の雪を踏みながら進んで行くと、
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池の周りの雪景色を楽しむかのように、やつば池の水面には40~50羽ほどの水鳥が泳いでいました。
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マガモの群れや
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カルガモや、
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オオバンたちです
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それぞれで群れを作りながら泳いでいます。
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冬が大好きな渡り鳥たちです。
9時頃になると、雲の間から日が差してきました。
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いつもなら、太陽の熱ですぐに雪が溶けだしますが、今日は気温が低くて、まだしばらくは雪景色が楽しめそうです。
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まだ1月なので、この冬にはまだ1~2回ぐらいは雪景色があると思います。
景観を見るのは綺麗だけれど、車社会の今、雪に慣れていない地方では、あまり歓迎できない雪景色です。


江戸時代に三河の碧海郡寿恵野村を起点に挙母村から寺部・荒井・花本を通り、亀首より藤岡を縦断し、さらに北進して美濃の土岐郡柿野に至る道を柿野街道と呼んでいます。
豊田市寺部町の柿野街道について先日(1/18)のブログで紹介しましたが、今回は寺部町から矢作川を渡った後の豊田市花本町を通る柿野街道について紹介します。
柿野街道についての情報が得られないかと、豊田市猿投台交流館を訪ねました。
受付で柿野街道について尋ねると、「ふれあい散策ウォーク 柿野街道コース」の資料をいただくことができました。
資料の一部分です。
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コースは猿投台交流館から柿野街道を南へ進み、越戸駅周辺の遺跡を見ながら北へ向きを変えて、平戸橋駅前を通り交流館へ戻る、全長5キロコースになっていました。
地図をたよりに柿野街道散策コースを進んで行くと、花本町の南端にある柿野街道の案内板を見つけました。
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猿投台地区コミュニティ会議で立てられた大きな案内板です。
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説明文の中に、街道沿いの栄えた花本は、明治期には行政・教育・商工業の中心地であり、「小江戸」とも呼ばれた。
と書かれています。


案内板の右半分の花本村絵図です。
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南端には大商店「やまさん」があり、麹屋・油屋・醤油屋・酒屋・質屋・よろず屋・紺屋・宿屋などが軒を連ね、北端には肥料問屋があったと書かれています。
この「やまさん」の建物の3階を仮校舎として明治39年(1906年)5月に生徒数29名で、現在の県立猿投農林高校の前身である群立農学校が創立されたそうです。
その場所の石垣が今も残っています。
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花本から荒井方面へ、今も残っている柿野街道です。
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先ほどの位置から北の方角の街道沿いには、大きな屋敷の塀が続いています。

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北の方向の青基調に続く柿野街道です。
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豊田市四郷町や井上町などのある、井郷地区の井郷交流館で入手した史跡・名所案内の資料です。
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この中にも古地図があり、豊田市内方面から藤岡方面に南北に走る②の飯野(柿野)街道が書かれていました。
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花本町の柿野街道は、絵図に書かれている町並みの先の光明寺や、
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八幡神社の横を通って北に進み、
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藤岡から岐阜県の美濃の柿野に向かっています。

豊田市扶桑町の矢作川河畔にある「古鼡(ふっそ)水辺公園」を散策していたら、河原の竹林の前に何かの案内板が立てられているのを見つけました。
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近づいて見ると「旧平戸橋」と書かれています。
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この場所の対岸は、先週のブログ(1/17)で紹介した平戸橋町の「旧平戸橋架橋地」の石碑が有った場所になります。
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案内板には、明治15年のこの場所が平井村で、対岸の越戸村との間に153mの木橋が架けられ、平井村の「平」と越戸村の「戸」をとって平戸橋と名付けたと書かれています。
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その橋は洪水で2度も流されており、愛知県が13年後の明治28年3月に、新平戸橋を現在の場所に完成させたとも書かれています。
説明文の下に平戸橋の図があります。
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橋の向こうには猿投山らしき山が書かれています。
この木橋の旧平戸橋の完成で、旧飯田街道は矢作川の上流にあった枝下(しだれ)村の渡し舟や、御船村大釜の大釜橋へのルートから越戸村の平戸橋へ変わりました。


豊田市扶桑町にある古鼡水辺公園は、矢作川に架かる平戸橋の下流500mほどの左岸にあります。
むかしはこのあたりの地名を「古鼡」と書いて「ふっそ」と読んでいました。
公園の入り口に立てられている石柱です。
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扶桑町自治区が立てられたものです。
「古鼡」の「鼡」の文字は「鼠」の俗字で、訓読みで「ねずみ」、音読みで「そ」と読みます。
古鼡(ふっそ)の地名が変化して、今はこのあたりを扶桑町(ふそうちょう)と呼ぶようになったと思われます。
この古鼡水辺公園は、豊田市平戸橋町にある旧飯田街道が明治時代中頃に、旧平戸橋で矢作川を渡った対岸に当たる場所になります。
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この場所は、矢作川の左岸側が湾曲した河川の水衝部にあたり河岸の浸食が激しいため、豊田市が平成3年に河岸保護を目的とした巨石による水制工(川の流れをゆるやかにする工法)や玉石による低水護岸の工事が行なわれました。
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同時に、昔は竹林が茂り人が近づけないような河畔林を地元の人たちと一緒に整備して、憩いの場所にしたところです。
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水制工の巨石が防波堤のように並んでいて、川の中央部は流れが速くても、岸辺はゆるやかな流れになっています。
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古鼡水辺公園から上流の方向に目をやると、手前には工事中の平戸大橋があり、その向こうに平戸橋が見えています。
河原からベンチに腰掛けて眺めると素晴らしい景観が楽しめます。
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古鼡水辺公園と書かれた、しゃれた形の銘板が立っていて、
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その横に、2007年度 土木学会デザイン賞 優秀賞と書かれた銘板がありました。
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散策するだけでなく、バーベキューも楽しめる公園になっています。
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冬の間は北風が寒そうですが、春から秋にかけての季節には景観を楽しみながら散策するのに絶好の場所になりそうです。
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平戸大橋の工事が終わり、周辺の整備がされれば、人気が出そうな古鼡水辺公園です。


江戸時代に人々が行き来した街道の中の一つ、尾張名古屋から信濃の飯田を結ぶ旧飯田街道には諸説があり、歴史的にも時代と共に経路が変わって複数のルートが存在しています。
現在では、国道153号線を飯田街道と呼ぶことが多いですが、江戸時代から明治期では、名古屋市から豊田市を経由して長野県に入る旧飯田街道は、豊田市内に流れる矢作川を越えるための手段の変化で、街道の経路がいろいろと変わっていたようです。
そのことが説明された案内板が、矢作川に近い豊田市平戸橋町の名鉄三河線の平戸橋駅近くの旧飯田街道に有りました。
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猿投台地区コミュニティ会議で立てた柿野街道散策コースの案内板の一つです。
飯田街道の変遷の部分拡大しますと、矢作川を越えるための方法の変化で、4つのルートの変遷が書かれていました。
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猿投台地区の御船と越戸で、4つに分かれる前の飯田街道は豊田市四郷町のある井郷(いさと)地区になるので、まずは四郷町の旧飯田街道の痕跡を探しに出かけてみました。
四郷町下古屋にある白壁に黒い板張りの建物は、江戸時代末期創業の酒蔵の浦野酒造です。
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この建物の南側に沿うように未舗装の細い道があり、井郷地区コミュニティ会議が立てた旧飯田街道(旧中馬道)と書かれた表示板が掲げられています。
散策する人の姿を見ると、歴史を感じる光景が有りました。
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酒蔵の建物の角を曲がって、旧飯田街道が続いていきます。
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ゆるやかなカーブを曲がると常夜灯が有りました。
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飯田街道を通る人の安全を見守っていたものだったと思われます。
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この道を真っすぐに進むと、観音堂と弘法さんと書かれた案内板がありました。
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たくさんの石仏が並べられた前を通り、ゆるやかな坂道を登って行います。
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坂を上り詰めた所の四郷町山畑の交差点の角に石柱の道標が有りました。
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高さがおよそ1.5mの角柱の3つの面に文字が刻まれています。
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歴史を勉強している知人の話では、上の写真の文字は「左 せんくわうし道」と書かれているというこで、「わ」のもじは「王」のくずしで、濁点は使わないそうです。
現代文で書くなら「左 ぜんこうじ道」となります。
石柱の横に井郷(いさと)まちづくりの会で作られた案内板が有りました。DSCN9723

この道標(みちしるべ)は江戸時代末期の嘉永3年(1850年)に立てられたもので、三面に刻まれている文字は、今の漢字に直すと「右・伊勢宮名古屋道」「左・善光寺道」「左・岡崎道」と判読されると説明されています。
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この先、東北東の方向に進んで行き御船へつながるルートが、飯田街道の初代と二代目の飯田街道で、東南東の方向に進んで行き越戸へつながるルートが三代目と四代目の飯田街道になります。
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大きな川を渡るのに舟から橋になり、その橋が流されて場所が変わり、また交通手段が人馬から自動車に変わるなど、どんどん新しい道路が出来て古い街道が消え去ってしまうことが多い中で、江戸時代からの古道が残っている数少ない四郷町の飯田街道です。

豊田市寺部町は、戦国時代に徳川家康に仕え、槍の名手として徳川十六神将の一人といわれた戦国武将の渡辺半蔵守綱(もりつな)のゆかりの地です。
寺部町内にある「ふれあい広場」には、寺部・高橋まちづくり協議会が立てた「寺部・高橋ふるさとマップ 槍の半蔵(渡辺守綱)の城下町」と書かれた案内板が掲げられています。
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このマップの中に、寺部町を縦断する古道「柿野街道」が緑色の線で描かれ紹介されています。
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南は豊田市内の御立の方から続いていて、蓮台寺の横を通って、寺部八幡宮や守綱寺(しゅこうじ)の横を北上しています。
まずは、蓮台寺へ行ってみました。
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お寺の入り口の横に「善光寺街道」の道標と、「寺部の古道」と書かれた「寺部・高橋まちづくり協議会」が平成19年3月に立てた立派な説明板が有りました。
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善光寺街道と柿野街道について書かれています。
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後半部分を書き出すと・・・
また、蓮台寺西の南北の道は、岡崎から美濃の柿野へ通じる柿野街道といわれた。
ここから北へ、八幡宮と守綱寺の西側を抜け、矢作川を渡船で渡り、荒井の兵主神社に上がり、花本・御船・藤岡へ通じて、和紙や陶器の交易路であった。
と説明されています。

下の写真の道が蓮台寺横を通る「柿野街道」です。
お寺の西側一帯は、豊田市の都市整備で寺部地区の工事が行なわれており、県道343号(則定豊田線)の南側で区画整理がされています。
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その区画整理でもこの道は残されて、この部分の柿野街道が無くなってしまうことは無さそうです。
この先の県道を横切って寺部八幡宮へ来ました。
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横断歩道橋の下に道標が立てられています。
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柿野街道の道標18です。
北へ進むと寺部八幡宮の鳥居と郷社八幡社と刻まれた石柱がありました。
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さらに北へ進むと、渡邊家菩提所の守綱寺に突き当たります。
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お寺の入り口の左側に柿野街道の道標19がありました。
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この先は城下町でよく見かける、道が直角に曲がった丁字路になっています。
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左に曲がって20mほどの先の角で、また直角に曲がっており道標20が有りました。
この丁字路を右に曲がると、街道はこのままお寺の横の道を真っすぐに進んで行きます。
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坂を下り、矢作川の河川敷に出た所に最後の道標21が有りました。
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河川敷に作られた農道が真っすぐに矢作川の堤防に向かっていきます。
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最初の蓮台寺の横の説明書きによると、この先矢作川を船で渡って対岸の荒井へ進んで行くことになります。
この矢作川の先の柿野街道は、また今後ゆっくり歩いてみたいと思っています。

先日、工事中の平戸大橋を見に行った時、工事現場よりさらに下流に200~300mの矢作川右岸河川敷にある越戸公園付近の堤防道路に「旧平戸橋架橋地 豊田市」と刻まれた石柱を見つけました。
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明治時代には、この地に最初の平戸橋が架けられていたようです。
右側面に説明文が刻まれています。
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平成3年に建てられた石柱に刻まれた文字を読んでみます。
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旧平戸橋は明治15年この地に架けられた。
当時この地は越戸村対岸は平井村であったため、両村の名称より一文字ずつとって平戸橋と名付けられた。
この橋の開通により、飯田街道の道筋は御船経由から越戸経由へと大きく変わることになった。
しかし、洪水時の二度にわたる流失のため明治25年から31年にかけて現在の波岩の地に新橋の建設が行なわれ、この橋は廃された。
と書かれています。
この場所から矢作川を眺めると、橋が架けられていたと思われる痕跡がうかがえます。
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この飛び石も旧平戸橋の名残のようです。
江戸時代に飯田街道(中馬街道)で矢作川を渡るのには、今の平戸橋よりも上流の枝下の渡しで、渡し舟が活躍していたという歴史が残っています。


1月13日(土)、国道153号線の矢作川に架かる平戸橋のおよそ300mほど下流側で工事中の平戸大橋を見に行ってきました。
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この橋は、国道153号線の豊田北バイパスの工事のうち、2年後の2019年度に開通予定の矢作川に架かる橋の部分です。
新しい橋の名前は、昨年(平成29年)の9月から10月にかけて豊田市が一般公募していました。
応募総数は1635件で、903種類の名称が有ったそうです。
平成29年11月10日 に豊田市の選考委員会が開催され、32件の応募があった「平戸大橋(ひらとおおはし)」が最優秀賞になりました。
その他に「勘八大橋(かんぱちおおはし)」に19件と、「豊田北大橋(とよたきたおおはし)」に18件の応募があり、この2つの名称は優秀賞になりました。
この結果から、11月13日 に豊田市から名四国道事務所へ橋りょう名称案を「平戸大橋(ひらとおおはし)」と回答し、11月22日 に名四国道事務所から橋りょう名称が「平戸大橋  」に決定した知らせを受けました。

矢作川右岸河川敷にある越戸公園近くの堤防道路上から見た工事中の平戸大橋です。
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休日なので工事は休みでした。
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工事中の橋の橋げた越しに、国道153号線の平戸橋が見えています。
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国道153号線の交通量が多いので、平戸橋は車が渋滞しています。
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平戸橋の向こうは猿投山です。
堤防から降りて、川辺から見た平戸大橋の橋げたです。
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平戸大橋の全長は、およそ390mです。
工事の方法は、矢作川渡河部の橋りょう上部工事において、鋼製箱桁の送り出し架設を実施して います。
この工法は、橋げたに手延べ機と呼ばれる架設用の仮のけたを接続し、ジャッキ等の機材を用いて橋げたを送り出して所定の位置に架ける工法です。 

昨年の暮れまでに、 送り出し架設を3回に分けて実施しており、3回目の送り出し架設については、12月 中旬から下旬に、これまでで最長の約140mを送り出しました。
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この日の写真の状態が、約140m送り出された橋げたの姿です。
橋の反対側に回ってみました。
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これで片側2車線部分の橋げたが矢作川の上に架かりました。
この後、同じ工法で、もう片側の2車線部分の橋げたを架けていきます。
工事の完成が待たれる豊田北バイパスです。
平戸大橋が完成すれば、東海環状自動車道の豊田勘八インターへ最短距離で接続され、渋滞が目立つ平戸橋の通行がスムースになることが期待されます。


ちなみに、インターネットで「平戸大橋」を検索すると、長崎県の平戸島への真っ赤な吊り橋が紹介されます。
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漢字での表示は同じですが、呼び名は長崎県の平戸大橋は「ひらど」と濁りますが、豊田市の平戸大橋は「ひらと」と濁らずに呼びます。

毎年行なわれている「とよた消防フェスタ」ですが、今までは主に豊田市長興寺5丁目の豊田市消防本部を会場にしていましたが、今回初めて新年の消防出初式と同日の1月13日(土)に、豊田スタジアムの西イベント広場周辺を会場にして開催されました。
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ステージではオープニングの消防音楽隊の演奏の後、豊田市内の大和幼稚園のかわいい演奏が行なわれていました。
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屋外では「はしご車に乗ってみよう!」というイベントが子供たちに人気で、順番待ちの長い列が出来ていました。
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会場内のスタンプラリーをクリアーした人が、はしご車に乗ることができます。
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はしごを最大に伸ばせば地上35mの高さまで届く能力がありますが、今回は安全のため10mまでの高さまでにしています。
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PRブースでは、「登ってみよう!ミニ梯子」が行なわれており、
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怖がって登れない子供や、平気で上まで登ってしまう子供がいました。
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外のステージでは、着ぐるみショーがあり、消防関係のゆるキャラのモクモクピートくんや、ファイヤーマンなどの着ぐるみが集まっていました。
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イベントの最後には、消防車との綱引きがありました。DSCN9599
大人も子供も、キャラクターも参加してみんなで綱を引きます。
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重い消防車を引っ張ることができて、バンザイをして喜んでいました。
はじめての試みの出初式と消防フェスタの同時開催でしたが、来年度はどうなるのか?
とよた消防フェスタ実行委員会での判断はどうなったでしょう。

1月13日(土)、豊田市消防出初式が今年も豊田スタジアムの西イベント広場で行なわれました。
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豊田市消防署員総勢100人による、階梯操法の演技です。
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纏(まとい)を掲げて威勢を挙げます。

昨年の出初式のブログでも紹介しましたが、出初式の最後に行なわれる消防訓練の一斉放水では、写真を写した場所は放水する様子を撮るために後ろからでした。
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あとで別の所で見ていた人から「虹が見えたよ!」っていう話を聞いて、来年は一斉放水の時に虹を見たいと思い、今年も豊田スタジアムへ出かけてきました。
寒い日になりましたが、幸いに今年も雲一つない、太陽が輝く快晴になりました。
虹が見える絶好の天候です。
10時45分、消防の実演訓練が始まり、いよいよもうすぐ一斉放水の時間です。
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太陽を背にする放水場所の南東の方向にカメラを持って場所を移動しました。
午前11時、一斉放水が始まりました。
地上から10本、はしご車から1本の合わせて11本のホースから一斉放水です。
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期待したとおり青空にうっすらと七色の虹が浮かび上がりました。
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円弧を描いて虹の架け橋が出来ました。
豊田大橋と虹のアーチとの共演です。

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ところが、北西の風が吹いていたので、放水の水滴がカメラの方に向かって飛んできました。
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放水時間は短くて、僅かに1分ほどだったように思われました。
もっと空高くに虹が架かるのをイメージしたいましたが、予想外に低い位置に架かった虹でした。
それでも、少し濡れながらも念願の虹を写すことができました。

豊田市街地から国道153号線で足助方面に向かうとき、矢作川の堤防に出てすぐに籠川に架かる荒井橋を渡って下ると右側に見えてくる木立の茂る神社が見えてきます。

いつも通り過ぎている神社ですが、古い神社のようなので立ち寄ってみました。
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石標には「郷社 式内 兵主神社」と刻まれています。
神社の名前は「兵主(ひょうず)神社」と呼ぶようです。
創建は不詳ですが、「延喜式神社の調査」によれば崇神(すじん)天皇の頃の創建といわれています。
崇神天皇は第10代の天皇で、西暦では紀元前90年ごろの時代になります。
古代氏族 加茂氏と関わりのある神社と考えられます。
もとは「大島明神」とも称していたようです。

豊田市教育委員会が昭和60年3月に発行した『豊田の史跡と文化財』に書かれている内容では・・・
延喜式にも名の見える由緒の深いお宮であり、本来の神社の位置は荒井町と梅坪町の中間の位置、 通称 ”大島” にあったと伝えられています。
籠川の流れが矢作川へ注ぐ付近で2つに分かれ島を作っていたが、 この島にあった神社が現在地に移されたものと言われているようです。
祭神は大物主命(おおものぬしのみこと)で、大物主命は出雲神話で名高い大国主命(おおくにぬしのみこと)のことです。
日本の神話における中心となる神でありますが、その働きは国内平定、国土経営修理、天下巡行、農学、国土の保護と医薬温泉の神とも言われ、 まさにオールマイティな神様です。
兵主神社の祭神としてはまことに名が体をあらわした神様といえよう。
と書かれています。

兵主神社の正面は南東の方向を向いており、鳥居のその先は矢作川になり、川の向こうに寺部町があります。
鳥居の前の石柱には「本國官社 兵主神社」と刻まれています。
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神社の境内には正面の鳥居からの参道とは別に、斜めに抜ける真っすぐな道が残っています。
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この道は矢作川の川岸の反対側の寺部から続く古道の「柿野街道」を通行する人たちが、矢作川を渡船で渡って荒井の兵主神社に上がり、花本・御船・藤岡へと続く交易路であったと思われます。

狛犬や灯籠の奥に一段高いところにある兵主神社の拝殿です。
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また境内一帯は兵主神社社叢林(しゃそうりん)として豊田市の名木指定されています。
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境内にある常夜灯には由来が刻まれた石碑があります。
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常夜灯の由来 兵主神社
江戸末期、挙母町大字梅坪の三岡某
氏の寄進によるもので、昭和三十四年
伊勢湾台風で倒壊、その後再建の
話題あるも現在に至り、此の度境内
の美化整備を目的に貧者の一灯を
献じ再建の段階に至れり
平成十一年度 氏子総代一同
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と刻まれています。


また、豊田市の兵主神社について、別の書物の『愛知の式内社とその周辺』(小林春夫著、式内社顕彰会、平成13年5月)216、217頁には以下のように書かれています。

祭神は7柱になっていますが、元々は大物主命・須佐之男命・三穂津姫命の3柱が祀られていたようです。
江戸時代には、社地の西方に水が流れ、島のようであったので「大島大明神社」と呼ばれていたようです。
高橋荘荒井村は、縄文時代中期から人々が住み、拓けて行った地域で、このことは高橋遺跡・舩塚古墳などから推定されます。(舩塚古墳は、 矢作川と籠川との合流地点、縄文時代から平安時代にわたる複合遺跡で伊勢湾海浜地帯との交流を示す糟畑式土器が混在している。)
恐らく加茂氏の一族が此の附近に住み、祖神を祀ったのではないでしょうか。
加茂氏は、大物主神の子孫という大田田根子命の孫、 大賀茂都美命を始祖とする氏族です。
三穂津姫命は、いわゆる宗像三神の長姉で、この地に住む加茂氏の人々が、矢作川を使って交易することが多かったので、 航海安全の神とされる三穂津姫命を祀ったのでしょう。
社伝にも、「高橋荘大島郷、大島大明神、磯城瑞籬(崇神天皇)御字、 加茂君大鴨積命、暫居 此郡、以 其祖先之神 而祭 大物主神 配以 三穂津姫」とあります。
境内地は、3600余坪、山林2町歩もあり、立派な社風を残しています。
戦前は梅坪地区も含まれ、氏子区域も広汎に渉っていたようです。

以上、豊田市の兵主(ひょうず)神社についての情報です。


猿投山の北の山麓、瀬戸市白坂町にある室町時代に開山した古刹の雲興寺は、盗難除けに御利益があるということで知られ、毎年お札を求めて初詣の人で賑わいます。
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雲興寺の本堂の屋根は地元の赤津焼の瓦で葺かれています。
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雲興寺の鐘楼(しょうろう)は、最初に建立された江戸時代初期のものが腐朽したため、江戸時代後期の文化7年(1810年)に新しく造り替えられたという記録が残されています。
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鐘楼は境内中心部の本堂南にあり、桁行2間、梁間2間の袴腰(はかまごし)付の鐘楼で、入母屋造、桟瓦葺です。
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江戸時代後期の鐘楼として地域における基準となる作風を残していることから、平成17年(2006年)に国の登録有形文化財となりました。
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本堂の瓦と同じように、鐘楼の屋根の瓦には赤津焼の瓦が使われています。
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釣鐘は2階に吊り下げられていましたが、第二次世界大戦時に供出され、長らく不在となっていました。
その後、平成21年(
2009年)の鐘楼全体の保存修理の折に、新たに鋳造されて以前と同じように吊り下げられています。

1月7日は七草の日です。
この日に七草粥(がゆ)を食べる風習があります。
豊田市足助町の足助八幡宮では、毎年1月7日に1年間の無病息災を願い、七草粥の炊き出しが行われます。

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足助八幡宮の七草粥は炊き出しということで、神社にお詣りに来た人に無料で振る舞われます。
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午前11時から始まり、お粥が無くなるまでということですが、800食分のお粥が用意されているということなので、お昼時に行っても十分に食べることができそうです。
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11時15分頃に神社に到着した時には数十人の人が並ぶ列が出来ていましたが、およそ15分で列の先頭になりました。
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入り口の横には七草の説明がされた資料が貼られ、
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七草の現物も置かれていました。
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スズナはカブ(蕪)で、スズシロはダイコン(大根)です。
ここで七草粥を受け取ります。
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大きな鍋から発泡スチロールの器に盛りつけて渡されています。
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鍋の近くから写真を撮らせてもらいました。
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お粥が入った大鍋から、湯気がもうもうと立ち上がっています。
いただいた七草が炊き込まれたお粥です。
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七草がたっぷりと入っていて、うっすらとした塩味のアツアツのお粥でした。
テーブルには梅干しや塩昆布などが置かれていてお粥と一緒にいただけます。
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食後には、油で揚げた切り餅を、お土産にいただきました。
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八幡宮に供えられたお鏡餅を木槌で割って、さらに細かく切ったものを揚げて塩をふったものです。
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おやつに最高でした。
30分前には長い列が出来ていましたが、11時45分頃には並ぶ列もほとんど無くなっていました。
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800食も用意されているということでしたので、お昼ごろに行ってもまだ七草粥は残っていると思われます。
ただし、足助八幡宮周辺の駐車場は、観光地の香嵐渓の駐車場に停めることになるので、有料になりますのでご承知のほど・・・!

七草の日ということで、七草についての歴史を調べてみました。
日本の暦で五節句というのがあります。
五節句とは、3月3日、5月5日など、奇数の月と重なる日が選ばれていますが、1月は1日の元日を別格とし、7日の人日を五節句(五節供)に入れていて、「七草」または「七草の節句」ともいいます。
古代中国では、正月1日に鶏、2日に狗(犬)、3日に羊、4日に猪、5日に牛、6日に馬、7日に人、8日に穀を占う風習がありました。
その日が晴天ならば吉、雨天ならば凶の兆しであるとされていて、7日の人の日には邪気を祓うために、七草の入った粥(かゆ)を食べ、一年の無病息災を祈ったのだともいわれています。

これが日本に伝わり「七草粥」になりました。




2018年の正月に何んといきなり今年最大の満月「スーパームーン」がやってきました。
毎日、大きさが変わって見える月ですが、それは「月の軌道が真円ではなく、楕円だから」と小学校の理科で習ったのを覚えていますか。
地球と月は離れたり近づいたり、その距離は常に一定ではないのです。

そんな中で「スーパームーン」とは、月と地球の距離が最も近くなるタイミングで満月になる現象のことです。
1月2日の朝の明け方の西の空に沈むころの満月は、最小のときより30%も明るくなるというスーパームーンになりました。

その翌日の1月3日の朝7時5分ごろ、我が家の2階の窓から、隣の家の屋根の上のテレビアンテナ越しに光る月をカメラで捉えました。
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もうじき日の出の時間になる少し前の明るくなった空に光る満月を少し過ぎたスーパームーン(?)です。
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昨日の朝は西の空に雲がかかっており見えなかったけれど、1日遅れの西の空に輝く月を見ることができました。

2018年(平成30年)
 
明けましておめでとうございます

やつば池散歩道のブログは、2013年12月にスタートしてから、数えて今日で5回目の正月を迎えることができました。
新しい年を迎えた元日の午前中に、神社への初詣へと豊田市小坂町にある「毘森(ひもり)神社」へ出かけてきました。
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小さな神社なので、お詣りに来る人も少なく、静かな初詣でした。
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この日は青空が広がる気持ちの良い正月になりました。
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豊田市内では、挙母神社や猿投神社が賑わう神社なので、正月三が日は長い列が出来るほどの参拝者が集まっていることと思いますが、毘森神社は静かなものです。
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神前に手を合わせ、今年も元気に「やつば池散歩道のブログ」で情報発信が出来る様に、お願いしてきました。

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