やつば池散歩道(豊田市)のブログ

やつば池(八ッ谷池)は、私が住んでいる豊田市朝日町と、その隣の丸根町に接する小さな農業用の溜め池です。              やつば池を周回する散歩道を元気に歩ける幸せを感じながら、地域の話題や情報を発信します。

2018年02月

豊田市小坂本町にある豊田産業文化センターの駐車場の横に、国の登録有形文化財の建造物「喜楽亭(きらくてい)」があります。
2月28日(水)に、訪ねました。
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喜楽亭は、大正時代末期から昭和初期に挙母の町中(現在の豊田市神明町)に建てられた、大正の町屋建築を今に伝える、和風建築の料理旅館でした。
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昭和42年に廃業後、住居として使用していたものを昭和57年、改築にあたって所有者より豊田市に寄贈され、翌年の昭和58年(1983年)に現在地に移築されたものです。
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喜楽亭は、近年の都市化により、急速に姿を消しつつある下町の大規模な和風建築を今に伝えていることから、平成25年(2013年)に国の登録有形文化財に登録されました。
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玄関には内裏雛が飾られていました。
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内裏雛の後ろの障子には三階菱の紋があります。
三階菱でも中央が大きい菱のものを松皮菱と呼び、上下に更に小さな菱を付けたデザインで、その形状が松の外皮に似ていることに由来するそうで、日本特有の紋様とされています。

玄関の横の部屋です。料理旅館の帳場と電話室になっていました。
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帳場に宿泊料金表がありました。
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いつの時代のものか分かりませんが、宿泊料金が20円、税金が8円と奉仕料が4円で総計32円也となっており、其ノ他 別料理 御注文に応じますと書かれています。
宿泊税が宿泊料金の40%も取られていたとは驚きです。

玄関からの廊下の突き当りに大きな鏡が取り付けられていました。
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鏡の上の方には「優等 銘酒」の黄色の文字と、中央に「明君」の商標マークがあり、下の方には白色で「御料理  喜楽亭」の文字が右から読むように書かれています。
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ちなみに銘酒「明君」は、大正12年創業の京都市伏見区にある松山酒造(株)の商標で、月桂冠グループの酒蔵です。

廊下だった場所には畳が敷かれ、窓の外に中庭がありました。
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和室の床の間には、縁起の良い「松・竹・梅」が材料として使われているそうです。
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しゃれた手すりの階段で2階へ上がります。
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喜楽亭では3月8日(木)まで、ひな飾りが展示されていて、
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階段を上がった2階の和室には見事な段飾りが並んでいました。
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資料館の中の飾り付けじゃなくて、昭和初期の建物の和室に飾られており、風情があります。
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御殿飾りで、されに七段の段飾りです。
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京風の15人が並ぶ超豪華版です。
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ひな祭りの蒸し菓子の「おこしもん」も添えられています。

床の間の琵琶棚にも可愛い人形が飾られていました。
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このあと、部屋を出て、庭も見せてもらいました。
表の庭園から見た喜楽亭です。
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2階には窓がほとんどありませんが、8帖の和室が3室並んでいて、この面には床の間がある間取りになっているためです。
庭の真ん中に川が流れていて、池もありました。
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苔が庭全体に植えられた和風庭園になっています。
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モミジがたくさん植えてあり、秋の紅葉は素晴らしいそうです。
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この時期にはまだ早いアヤメが数輪咲いていました。
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この花は寒咲き菖蒲(あやめ)で1月~3月に咲く品種のものです。

喜楽亭の係員の方の話では、昨年には豊田市をロケ地にして撮影された映画「星めぐりの町」のロケがこの建物の中でも行なわれ、黒土監督が一週間ほど通われたそうです。
震災で家族を失って豊田市に来た政美少年が生活していた部屋は、喜楽亭の2階を使って撮影されていたということです。

2月26日(月)、豊田市の最高気温が16℃になる暖かい日になりました。
菜の花の摘み取り体験が出来るという情報を耳にして、午後から日進市の愛知牧場を訪ねました。
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愛知牧場は、愛を知る牧場です。
駐車場は平日なら無料ですが、土・日曜と祝日は500円の有料になっています。
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菜の花摘みは、巨大迷路の奥にあるということなので、動物広場の横のゆるやかな坂道を登って行きます。
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さくら並木になっているので、4月には花見も楽しめそうな坂道です。
牛舎を越えると、巨大迷路の場所がありました。
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もう少し坂道を登ると、菜の花畑が広がっていました。
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今年の冬は寒い日が多かったのが影響したようで、菜の花の生育も遅れているようです。
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菜の花摘みの案内がありました。
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チケットを求めて小屋に行ってみると・・・残念!
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「本日の菜の花つみは終了しました。」の張り紙です。
菜の花摘みの詳細が書かれていて、よく読むと、土日祝日の13:30~15:00の時間限定になっていました。
しかたなく、美味そうな菜の花を横目で見ながら、花ばたけ内を散策してきました。
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これから暖かくなると、もっと成長して菜の花もたくさん咲きそうです。
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菜の花畑の近くの広い畑に、一面みどり色が広がっている所がありました。
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何の花か分かりませんが、春の花の準備が進んでいるようで、花が咲くのか楽しみです。
巨大迷路の近くに、生後2~6ヵ月くらいの育成牛が放牧されている場所がありました。
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子牛たちは、あたたかい日差しを受けて気持ち良さそうです。
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牧場の入り口近くの売店では、ベンチに座って休憩し、愛知牧場の名物のジェラートを美味しそうに食べている家族連れの姿がありました。
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帰りに、愛知牧場の低温殺菌牛乳を買って帰りました。
家に帰って、愛知牧場のホームページを見たら、「今シーズンの菜の花摘みは終了しました」と書かれていました。
来年は、もっとしっかり情報確認をしてから出かけようと反省です。

2月25日(日)、豊田市八幡町のスカイホール豊田(豊田市総合体育館)で、産業や文化などさまざまなぶんやの展示を通して豊田市の魅力を発信する「WE LOVE とよたフェスタ」が開催されました。
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~世界一わくわくする楽しいふるさとを目指して みんなでつくる WE LOVE とよたフェスタ~
をキャッチフレーズにして、市民と市でつくる実行委員会が主催します。
90の個人や団体が、I LOVE子育て、  I LOVE 若者、I LOVE 福祉、I LOVE 山と川、I LOVE 地産地消、I LOVE スポーツ、I LOVE 文化、I LOVE ものづくり、I LOVE まちづくり、I LOVE ステージ の10分野に分分野かれて、それぞれの活動を紹介するイベントです。
どんな催しなのか興味が有ったので、出かけてきました。
臨時駐車場がスカイホール豊田の隣にある元城小学校に用意されていたので、十分に車を停めることができました。
会場のスカイホール豊田です。
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体育館の前に置かれた記念写真用のパネルです。
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地産地消の分野では市内高岡産のキャベツが山と積まれて即売会がされていました。
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葉もの野菜が高価なこの冬は、キャベツが売り切れになりそうなので、まずは1つ確保しました。
体育館の中では、市内の釣り愛好家を中心につくる市民団体「矢作川水族館」が全長80mのブルーシートを敷き、矢作川に見立てて木製の魚の模型を置いて、魚釣りを体験できるようにして子供たちを楽しめせていました。
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水槽には矢作川に生息するドジョウなどを展示していました。
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ニホンイシガメやクサガメやスッポンには手で触れるようになっていましたが、
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大きなスッポンは、冬の時期は寒さで動きが鈍っているものの、噛まれたら大けがになるということなので、見るだけにしました。
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写真を撮ろうとしたら、持ち上げてくれました。
天然のスッポンが、今でも矢作川で生息しているそうです。
ものづくりの展示では、とんぼ玉工作や、
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稲武の竹でヒンメリ作りの体験コーナーが有りました。
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ヒンメリ (himmeli) の語源は、スウェーデン語の himmel ( 天 ) からだそうです。
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フィンランドの伝統的なヨウル(北欧でクリスマスシーズンを意味する)の装飾品で、麦の藁(わら)等に糸を通し、多面体を構成したら、最後にそれらを繋ぎ合わせて吊るします。
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別名を「光のモビール」ともいうそうです。

この他、会場内では様々な分野の展示がされていました。
今回初めてとよたフェスタを訪れて、市内でもいろいろな趣味や団体活動をされているのを知ることができました。

2月24日(土)、朝から晴れて風もなく、あたたかい日になりました。
豊田市平芝公園の梅まつりまで、あと一週間です。
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先週(2/17)、このブログで紹介した平芝公園の梅の開花状況から一週間が過ぎたので、最新の開花状況の確認に、24日(土)の午前中に平芝公園へ出掛けてきました。

例年のように、平芝公園の隣にある安長寺の駐車場が、梅まつりの臨時駐車場として開放されていました。
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梅まつりを共催する豊田南ライオンズの黄色の幟と梅まつりと書かれたピンク色の幟がたくさん並べられていて、駐車場には10台近くの車が停っていました。
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来週から始まる梅まつりの準備が着々と進んでいましたが、肝心の梅の花は見頃まで、まだまだの状態です。
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それでも、数本の早咲きの梅の木は、先週よりもずいぶん開花が進んでいました。
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紅梅も、
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白梅も、
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早咲きの品種の梅が二分咲きから三分咲き位になってきていました。
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少しづつ散策路からの景観に色どりが感じられるようになり、カメラを向ける姿も見かけられました。
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ピンク色が濃くなったオオサカズキです。
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この木は満開に近いぐらい咲いています。
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枝垂れ梅が咲きだすまでには、もう少しです。
それでも、あと一週間で梅まつりが始まります。
これからはあたたかい日も有るようなので、陽気に誘われて、開花がいっきに進んでくれように期待したいと思います。

二十四節気の雨水が過ぎました。
けれども、今年の冬は2月下旬になっても、まだまだ寒い日が続きます。
花を見て春の季節を感じようと、久しぶりに豊田市西山公園を訪ねました。

通路に、ハンギングバスケットに植えられたカラフルなビオラが、ずらりと並んでいました。
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公園内の作業用栽培温室で育てているので、この寒さでも元気に花をいっぱい付けています。
事務所の方の話では、もう少ししたら豊田市役所の東館から南館への通路に飾られるものだそうです。
外は寒いので、あたたかい観賞温室へ入りました。
常夏の温室の中では、パインナップルの実が育っていました。
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もう少しで収穫できそうです。
プランターに植えられた薄いピンク色のイチゴの花が咲いていました。
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どんな実が着くのでしょうか?
入口の頭の上には、華やかにブーゲンビリアが温室内に春をつれてきています。
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そんな中で、変わった形の花を見つけました。
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この花はランの種類だと思いますが、正しくは分かりません。
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水槽の中の熱帯スイレンの花は、一休みのようでした。
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温室のとなりの四季の花園の花壇には、チューリップが芽を出してきていたので、確実に春が近づいているのを感じます。

今年で第20回となる「中馬のおひなさん in 足助」が、豊田市足助町の重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されていて、今も江戸時代後期に建築された家が多く残っている町並みで行なわれています。
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中馬(ちゅうま)の言われは、江戸時代に信州の馬稼ぎ人たちが作った同業者の組合のことで、「賃馬」、「中継馬」が語源といわれていますが、一般には伊那街道(飯田街道)で物資の運搬に従事した全ての人々のことを指しています。
この中馬と呼ばれる人たちが行き来したことから街道は別名「中馬街道」とも呼ばれています。
この中馬のおかげで、街道の中継地点だった足助は、三河湾からの塩、信州からの米やたばこなどの山の産物が集まる交易の町として栄えました。
と、足助交流館でいただいた資料に書かれています。

立ち寄った足助交流館のロビーに飾られていた雛飾りです。
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この段飾りは「ビッグひな祭り」で知られる、徳島県勝浦町から贈られたものです。
段飾りの間に挟まれるように、御殿飾りもありました。
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足助町の方から寄付されたもので、昭和30年代のものです。
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豪華絢爛な御殿の中に雛人形が飾られています。
今の時代では考えられない豪華さです。
この他に、足助の町並みの中の本町区民会館や足助中馬館など全部で115ヶ所の店舗や施設などで雛飾りが展示されています。
そんな中でも、ちょっと珍しい展示を2カ所ほど紹介します。
その1つが、足助町新町の山下仏壇店です。
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屋根の上の2階に飾られている、ひな飾りです。
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ひな人形に道行く人を高見の見物されてしまっています。
もう1つは、この家のとなりの「いろはの食事処 竹ひな」さんの雛飾りで、店の名のように「竹」で作られた雛飾りが並んでいます。
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雛人形の材料は竹のみです。
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この店は創業100年近くになる竹工所で、竹の矢などを作っています。
その伝統技量がこの作品を作っているのです。
この2ヶ所とも町の西の端にあり余り人が来ない場所になります。
「中馬のおひなさん」は3月11日(日)まで開催されていますが、この2ヶ所は3月4日(日)までの展示になっています。

旧飯田街道の資料を求めて豊田市石野交流館でいただいた「石野めぐりマップ」の飯田街道コースを見ていると、旧西中金駅の近くの飯田街道から少し外れた所に「おはせの宮」という奇石があるということなので訪ねてみました。
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猿投グリーンロードの力石インターから国道153号線を足助方面に走り、中金町平古の信号交差点を右折して、県道345号線を500mほど進むと、左側に路肩が広い所がありました。
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未舗装の道が林に中に伸びていますが、この先には、車が入れないようにロープが張られていました。
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案内板は何もありません。
路肩に車を停めて、ここから奥に歩いていきました。
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およそ200mほど進んで行くと、左手の斜面の上に大きな石が突然現れました。
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近づくと、白ペンキで塗られた杭に「おはせの宮」と書かれています。
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ちなみに、おはせの宮の「おはせ」とは「陰茎・男根」のことで、隠語辞典にも書かれています。
毎年3月15日に行なわれている愛知県小牧市の田縣神社の豊年祭では「大男茎形(おおおわせがた)」と呼ばれる神輿(みこし)を担いで練り歩きます。

崖の下の道路から、手作りの階段があって、近くに行けるようになっていました。
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現地には何も説明板が有りませんでしたが、石野交流館でいただいたパンフレットの「石野めぐりマップ」には・・・
「おはせの宮」について、男性のシンボルと女性のシンボルを形づくっている非常に珍しい自然の巨石です。
と説明されています。
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注連縄が掛けられている岩がありました。
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パンフレットの説明文にあった女性のシンボル(?)の巨石です。
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こじ付けの感じもしますが、一応良しとしましょう。
インターネットで検索すると、2017年7月の朝日新聞にも記事が出ていて・・・
この奇岩「おはせの宮」が子宝に恵まれるご利益があるとされ、地元の住民が周囲の草刈りをするなど手入れをしている。
と書かれています。
今はまだ案内板も説明板も有りませんが、この巨石を宮として祀っている近くの岩倉神社の住職さんは、寄付金を集めて整備していきたいと話されているということです。


豊田市内を通る旧飯田街道は、矢作川に橋が架かる以前の明治時代初期までは、豊田市枝下町の渡船場で舟を使って渡っていた時代がありました。
枝下の渡しから先、対岸の石野町や力石町へ抜けて足助の町へ行くルートを訪ねようと、旧飯田街道の資料が無いか石野交流館に立ち寄ってみました。
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受付で、石野の自然と歴史探訪「石野めぐりマップ」というパンフレットを受け取りました。
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5つのウオーキングコースが書かれている中に、飯田街道コースというのが有りましたが、中金町から野口町・中切町を歩くルートになっていて、石野町や力石町の部分についての説明の資料は有りませんでした。
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現在の国道153号線沿いにある神社や寺院の紹介がありましたが、旧飯田街道に残る史跡は地図に紹介されていません。
そこで、枝下町の案内板にあった地図を参考にしました。
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赤色の線であらわされた旧飯田街道は、川を渡ってから力石峠を越えて力石から足助に向かっています。

枝下町(旧西枝下)から両枝橋を渡って石野町(旧東枝下)に入り、川沿いに少し下流に来たところから、力石峠に向かって坂道を登って行くと、村社八柱神社がありました。
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神社の前のゆるやかな坂道をさらに登って行きます。
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坂道を上り詰めた所に石野地域バスのバス停がありました。
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力石峠は、三河広瀬から勘八への道と、石野町から力石町への道の四差路になっていて、その交差点の隅に地蔵堂がありました。
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お地蔵さんには赤い前掛けが掛けられており、享保五年と刻まれた文字が見えます。
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享保5年(1720年)といえば、江戸時代8代将軍徳川吉宗の頃のもので、今からおよそ300年前になります。
このお地蔵さんは、力石峠を通って、飯田街道を行き交う旅人たちの無事を願っていたことでしょう。

旧飯田街道は力石峠から細い道をゆっくりと下って行きます。
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そして、猿投グリーンロードの力石インターの近くの国道153号線に出てきました。
ここから足助までの旧飯田街道は国道とほとんど重なっているようです。


2月17日(土)、この日のピョンチャン冬季オリンピックの男子フィギュアスケートで、羽生結弦選手が金メダル、宇野昌磨選手が銀メダルに輝きました。
特に、宇野昌磨選手は名古屋市の出身でトヨタ自動車に所属していることもあって、豊田市内でもパブリックビューイングで応援していたようです。

そんなうれしい出来事があったの日の午後、先回の平芝公園の梅の開花状況から一週間が過ぎた午後、寒風が吹き抜ける中の平芝公園へ行ってみました。
今週は比較的寒さも緩み、あたたかさを少し感じるようになった日も多くあったので、梅の花も咲きだしてきているんではと期待をして行きました。
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けれども、思ったほど開花は進んでいなく、まだまださみしい梅林の光景でした。
先週につぼみが大きくなってきていた早咲きのオオサカズキは、遠くからでもピンク色の花の色を濃くしているのが良く分かります。
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開花している花の数は少なくても、つぼみが大きく膨らんでいます。
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咲き始めましたが、また寒波が来るようなので、このまま一気に開花が進むとは言えないようです。
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白梅のトウジウメにも、ポツンポツンと白い花が見えてきていました。
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一本の枝に花が一つか二つ咲いているくらいの開花状況です。
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開花が始まっている2種類を紹介しましたが、全体的に公園内を見渡すと、こんな感じです。
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昨年なら、2月の中旬にはきれいな梅林が楽しめるほどに咲いていたのに、今年はまだまだです。
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昨年に比べて、およそ一ヶ月も遅いという状況です。
もうすぐ二十四節気の「雨水」になりますが、豊田市の今日の最低気温が氷点下2∼3℃と冷え込んでいて、最高気温も10℃まで上がりません。
予報では、20日(火)あたりから寒さが緩むようですので、また来週にでも平芝公園の梅の開花状況をお伝えしたいと思っています。

豊田市枝下町の旧飯田街道を訪ねていたら、枝下駅跡の近くの枝下町公民館の駐車場に「わくわく事業」で立てられた案内板が有ったので近づいて見ると、それは枝下用水の説明板でした。
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表面には「旧枝下用水取水口(第一水門)」と「偉大なかんがい事業の足跡」と書かれています。
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説明文には・・・
この取水口は、矢作川から水を取り入れる重要な場所で「枝下用水」の名前の由来となっています。
現在は、取水口の土台・水路の石垣・中島(下図の中州)との間に築かれた石堤があり、さらには下流約700mに「第二樋門」などの遺構があります。
各遺構には一定の水量を取り入れる工夫がなされ、特に「第二樋門」の役割は洪水対策上主要な場所でもありました。
 ※測量開始・・・・・明治10年(1877)
           明治23年 幹線部分と東用水が完成
           明治25年 中用水が完成
           明治27年 西用水が完成
 ※越戸ダム完成・・・昭和4年(1929)
           西枝下からの取水口は越戸ダムに移る
(右半分の説明は省略)

そして裏面には「枝下用水かんがい区域」の絵図がありました。
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かんがい区域は、猿投・挙母・上郷・高岡地域にわたり、末端は隣接する安城市・知立市・刈谷市近辺にまで至っています。
と書かれていて、主要施設等の場所も書かれています。
表面側の着工当時のイラストを拡大しました。
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取水口へ矢作川の水を取り込む施設の様子が分かりやすく書かれています。
現在地のすぐ近くに、枝下用水の取水口が有るようなので行ってみました。
名鉄三河線の廃線の線路を少し行ったところに『枝下用水原点取水口「第1水門」入口』と書かれた白いペンキで塗られた杭が立っていました。
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杭の場所からすぐ下に矢作川の水面が見えています。
足元に気を付けながら川岸へ近づくと、用水路の石垣と思われる部分が水面から顔を出して残っていました。
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ここが明治20年頃に工事が行なわれていた枝下用水の取水口の跡です。
取水口から遠くに見えるのが矢作川の中洲の中島です。
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水面に遺構の石堤が所々に顔を出しています。
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水位が下がればもっとたくさん見られるようです。
ここから700m下流に第二樋門と呼ばれる遺構も残っているということなので、廃線になっている線路の上を歩いて行きました。
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線路の両側には竹林が茂っています。
およそ10分ほど歩いて到着した「第二樋門入口」の案内の杭です。
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ここから 0.4キロと書かれています。
ゆるやかに下り坂になっている竹林の中を進んで行きます。
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迷わないように所々に竹に巻かれた目印が有りました。
川が近づいた感じがしたところに、最後の難関の竹を並べただけの手づくりの橋です。
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竹林から視界が広がり、明治時代に造られた枝下用水の遺構が姿が現れました。
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用水の樋門がある石垣です。
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石垣の上に昇って、反対側を覗いてみると、水門の跡がありました。
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この水門(第二樋門)で、取水口から通水された枝下用水を取り入れたり、堰き止めて排水を行ない、ここから流れる用水の水位を調節する施設です。
石垣の中に「第二樋門」の銘板を何とか見ることができました。
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樋門をくぐった用水はここからさらに矢作川の右岸に沿って下流に流れていくようになっています。
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第二樋門から見た矢作川の上流方面です。
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第二樋門のある位置は地図で見ると枝下町と御船町の境付近になります。
この辺りの矢作川は、下流に築かれた越戸ダムで貯められたダム湖で川の水位が高くなっているため、川岸に沿って造られている用水の堤防は見えませんが、水位が下がった時には水面下の堤防の跡が見えてくるようです。
インターネットのGoogleマップの航空写真でこの場所を見ると、矢作川の右岸に沿うように枝下用水の堤防の一部が水面から出ているので良く分かります。

このブログの最初の写真の枝下用水の説明板の右半分の部分を拡大しました。
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ここにも書かれているように、地形上の難工事に加え、たび重なる洪水や災害により中断、(中略)
その中で西澤眞蔵は私財を投じて難工事を推進し、多大な貢献をした。とあります。
まさに、偉大なかんがい事業だった、明治時代に行なわれた枝下用水の工事でした。

名鉄三河線の猿投-西中金駅間の廃止により廃駅になったのは、三河御船駅・枝下駅・三河広瀬駅・西中金駅の4つの駅ですが、今までのブログで三河御船駅(2018.2.2)・三河広瀬駅(2017.12.12)・西中金駅(2017.11.17)の三駅を紹介してきました。

今回は、残りの枝下駅について紹介します。
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漢字で「枝下」と書いて「しだれ」と読みます。
地名は読み方が難しい中で、枝下も難読駅の一つのようです。
歴史をたどると、この地を古くは「志多利しだり郷」と呼んでいたという古文書の記録があるようです。
その後、参州加茂郡枝下(しだり)村という地名になり、文字が変わっていますが、その由来は明らかではありません。
枝下町になる以前は、矢作川を挟んで左岸側の東枝下村と、右岸側の西枝下村という、2つの枝下村がありました。
枝下の呼び方が「しだり」から「しだれ」に変わったのは、名鉄の駅が出来た時という話を聞いています。
そんな中でも、枝下町自治区が年4回発行の自治区だよりの名称は「かわら版しだり」となっていて、「しだり」の名が残されています。
現在では豊田市内の町名の見直しで、西枝下村が枝下町になり、東枝下村は石野町になっています。
そのなごりというか、矢作川に架かった東西の枝下村をつなぐ橋を両枝橋と呼んでいます。
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町の名前は変わっても、両枝下の絆と思い出が橋の名前に込められています。

昭和2年(1927年)8月に開設された枝下駅は、平成16年(2004年)3月末に廃線になって以後も線路やプラットホームは現存していますが、駅舎は昭和42年(1967年)頃に解体されたので今は残されていません。
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三河広瀬駅・西中金駅は、駅舎とプラットホームが国の有形文化財への登録されましたが、枝下駅跡は駅舎が無いのでプラットホームだけでは登録されていませんでした。

廃駅になった後の枝下駅前は、平成19年に豊田市のわくわく事業で枝下町自治区が整備を開始され、わくわく広場になっています。
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残念ながら時計は故障中でしたが、広場の片隅には枝下駅の名前にちなんで、枝垂れ桜が植えられていて、大きく育っていました。
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春には、きれいな枝垂れ桜が見られるようです。
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上の写真が駅から三河御船・猿投方面を見たところです。
そして、下の写真が三河広瀬方面です。
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駅のすぐ近くに矢作川を渡るグリーンロードの高架橋が架かっています。
線路と矢作川の間が旧飯田街道になっていて、その場所に「三河線枝下駅と木節粘土」の説明板がありました。
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左側の写真に現役当時の枝下駅の駅舎が写っていました。
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またこの駅が開所した当初は、駅の近くで取れる、陶磁器の材料に適した木節(きぶし)粘土の需要が高まり、大量に輸送されるために貨物列車の引き込み線がありました。
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けれども、車社会の発展で昭和59年(1984年)1月には貨物列車が廃止され引き込み線も撤去されています。

県道11号線を走る機会があったら、枝下駅跡にも立ち寄ってみてはいかがですか。

昨年の夏から秋にかけて、コキアやコスモスなどで、散歩する人たちを楽しませてくれた、やつば池散歩道沿いにある、およそ100 ㎡ ほどの広さの三角形のような畑ですが、この冬の間は、花が無く寂しい状態でした。

2月12日の振替休日に、春からの花壇の準備ということで、やつば池クラブの人たちが集まって、畑を耕す作業をされていました。
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やつば池クラブのメンバーの中には、貸し農園で農作業を楽しんでいる人が多くいますが、その中に、耕運機を持っている方もいます。
落ち葉で作った堆肥を撒いて、家から持ってきた自慢の耕運機で、硬くなった畑を耕します。
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さすがに耕運機の威力です。
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見る見るうちに耕されていきました。
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備中などの手作業で狭い所を掘り起こして、作業は30分ほどで終わりました。
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今年は何を植えようかと話しながら、春が来るのを待つやつば池散歩道の畑です。

豊田市枝下町にある旧飯田街道で、矢作川を渡るための渡船場跡です。
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三河線の枝下駅跡のわくわく広場にあった旧飯田街道説明用の絵地図を参考に廃線になった線路沿いに矢作川を上流に向かって歩いていきました。
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線路の真ん中には歩きやすいように細かい砂利が敷いてあります。
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しばらく歩いて行くと、川沿いに一艘の舟がありました。
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矢作川に架かる赤い橋(両枝橋)の下流側のすぐ近くに「旧飯田街道 枝下の舟場跡」と書かれた案内板がありました。
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川岸の舟が、いかにもここが渡船場跡だったという景観になっています。
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案内板には、享保5年(1720)操舟と書かれています。
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説明文には・・・
この舟場は、旧飯田街道の主要な道で、唯一舟を利用して通行していた渡船場の跡です。
(中略)
旅人や荷物を背にした馬などが舟で往来した場所であります。
対岸の東枝下(現石野町)へはワイヤーを張ってそこに舟をつなぎ、船頭さんがたくみに舟を操って川を渡りました。
昭和27年その役目を終える
と、書かれています。
左上の絵図を大きくしました。
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川の流れで舟が流されないように操っているようすが良く分かります。
渡し舟の絵の中にあるのと同じように、両枝橋の下に岩が並んでいます。
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この中の大きな岩は「はかり岩」と呼ばれていて、安全な操船水位の目印にした自然の岩で、増水で岩が水没すると川止め(渡船中止)となったそうです。
もう一つ絵にも描かれている「ワイヤー台座」も、草むらの中に見つけました。
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この台座は、対岸に張ったワイヤーを固定するための石製の施設で、ワイヤーに滑車を付け、更にロープで舟につなぎ、舟が流されないように工夫されていたそうです。
台座の近くに小さな古井戸の跡がありました。
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街道を往来する人々や馬の喉をうるおす井戸で、傍らに水天明王が祀られ往時を偲ばせています。
この水天明王の建立は江戸時代の文化11年(1815年)ということです。
井戸の水は水温が一定になっているようで、この寒さの中でもホテイアオイが枯れずに育っていて、近所の人が金魚を入れて楽しんでいるようです。
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渡船場のすぐ近くに常夜灯がありました。
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常夜灯の説明も書かれています。
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その説明には・・・・
建立は文政7年(1824年)で、以前は旧飯田街道の渡船場近くに設置されていたのを、大正年間に移転されたものと伝えられている。
と、書かれています。
枝下町の旧飯田街道の説明板は、わくわく事業で立てられた物のようですが、歴史を楽しむ人たちにはうれしいものです。
このあと、旧飯田街道の矢作川を渡って、石野地区の力石町方面を訪ねてみようと思っています。

旧飯田街道は、名古屋から豊田市足助を通り信州伊那谷に通じる道で、豊田市四郷町から御船町・枝下(しだれ)町を通って行くルートが最も古い街道と言われています。
枝下歴史研究クラブの皆さんが猿投町誌を参考にして発行した「旧飯田街道と路線の変遷」という資料に、絵図で示された飯田街道の4つのルートが書かれた案内板が枝下町の旧飯田街道のおと県道11号線が交差する場所に建てられていました。
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先日(1/29)のブログで豊田市四郷町から御船町を通る旧飯田街道を発信しましたので、今回はその先の枝下町を通る旧飯田街道沿いの史跡などを紹介します。
この案内板の裏側に「旧飯田街道と枝下」という表題で説明がされていました。
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説明の後半部分に・・・
ここの場所から県道を横切って矢作川に通じる旧道は、飯田街道の最も古くからのルートであって、曲がりくねった幅の狭い道は、往古の姿を偲ばせる貴重な街道筋である。
と書かれています。
絵図の案内板の向こうに、県道を横切って下って行く道が旧飯田街道です。
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この近くで車を停める場所をさがして、名鉄三河線の旧枝下駅跡のわくわく広場に行くと、そこにも「枝下町の史跡と旧飯田街道」の絵図が書かれた説明板がありました。
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右上に書かれた旧飯田街道(塩の道)の説明には・・・
尾張名古屋から三河山間部を経て信州飯田へ通じる道、中山道の脇街道として、江戸時代から明治の中頃まで馬の背で塩を運んだ馬方や旅人で大いに賑わいました。
と書かれています。
この絵図の中の御船町から枝下町に入った県道沿いに、馬頭観音と書かれた場所があるので行ってみました。
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県道を縫うように、くにゃくにゃと旧飯田街道が残っています。
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その道の脇に案内板がありました。
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馬頭観音について・・・
旅の安全を祈願するとともに、不慮の事故で命を落とした馬の供養と併せ村人たちの安らぎを願って馬頭観音を建てられた。
と、枝下歴史研究クラブが説明されています。
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街道の松の木の根元に馬頭観音があったという、古い写真が載せられています。
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案内板の近くに、写真の墓石が置かれていました。
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花筒もあり、地元の人で供養されているようです。
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枝下町内の旧飯田街道はこの先、枝下町公民館の横を通り、三河線の枝下駅跡の横を矢作川の川岸に沿って進み、いよいよ枝下の渡船場に向かいます。


1月末にはまだ咲いていなかった豊田市平芝公園の梅林でしたが、あれから10日間が過ぎたので、もうぼちぼち咲き出していることを期待して、2月10日(土)に出かけてみました。
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結果は、10日前とほとんど変わらず、公園入口付近の梅の木は、まだつぼみのままです。
そんな中で、何とかトイレ前の「ヤエカンコウ(八重寒紅)」だけが咲き始めていました。
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遠くから見ると、枝先全体がピンク色になってきています。
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近くで見ると、咲き出した花も、寒さで縮んでいるようにもみえます。

梅林公園内をぐるりと一回りしてみました。
早咲きの白梅の「トウジウメ(冬至梅)」です。
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明日には開花しそうなつぼみがありました。
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同じく白梅の「ヤエアオジク(八重青軸)」です。
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つぼみがふくらんできています。
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毎年早くに公園を彩る紅梅の「オオサカズキ(大盃)」ですがまだ咲いていません。
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暖かい日になれば2∼3日で開花しそうなとこまできています。
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平芝公園へ散策に訪れた人も「まだ咲いていないねぇ!」と残念そうです。
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枝垂れ梅の通りが見ごろになるまでにはまだまだ先になりそうです。
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気象庁の生物季節観測情報で梅の開花日を調べてみると、名古屋の梅の木の標準木の開花情報がありました。
名古屋の梅の標準木の開花日は、平年は2月2日になっていて、昨年(2017年)は平年よりも23日も早い1月10日が開花日だったそうです。
今年(2018年)の名古屋の梅の開花日は2月8日になっていて、昨年より何と29日も遅かったようです。
昨年や一昨年が早く咲いたので、今年があまりにも遅いようですが、平年と比べればおよそ1週間の6日遅れだったということです。
2月の中旬から下旬にかけての気温がどう変わるかによって、今からの梅の開花状況に影響してきます。
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3月3日からの梅まつりまでに見ごろになることを願いながら、この後の平芝公園の梅の開花状況は、また数日後にお知らせしたいと思っています。


豊田市をロケ地にして撮影された、黒土三男脚本・監督で小林稔侍主演の映画「星めぐりの町」。
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東日本大震災で家族を失って一人ぼっちになり、心を閉ざしてしまった少年が、豊田市のいなか町の地に来て、遠い親戚にあたる手作り豆腐屋の家族と一緒に生活をしながら、心を開いていくという話です。
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映画の舞台となり、市内各地でロケが行なわれた豊田市では、11月から先行上映されてきましたが、1月27日からは全国各地でロードショーが始まり、広報とよたの1月15日号の表紙でも紹介されました。
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豆腐屋の役を演じられた小林稔侍さんは、主演するのはこの映画が初めてだということです。
全国公開から少し経った2月7日に、豊田市駅前に昨年暮れにオープンしたイオンシネマ豊田KiTARAで見てきました。
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ピッカピカの映画館です。
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午後2時過ぎからの上映時間を予約して行きましたが、イオンシネマ豊田には全部で9つのスクリーンがある中で、一番大きな第6スクリーンで行なわれていて、席数が332席もありました。
公開されてからずいぶん日にちが過ぎているので、観客は少ないと思いましたが、100人近い人で席が埋まっていました。
この映画のロケ地で使われた場所は、松平東照宮や笹戸温泉・小原の和紙のふるさと等の、今までに行ったことのあるところが多くありました。
けれども、初めて見る素晴らしい景色の場所でもロケをされています。

映画の冒頭に登場した石野地区の成合の一本桜は、森とせせらぎとの景観がすばらしい所でした。
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こんな場所があることを知らなかったので、春になったらこの地を訪ねてみたいと思っています。
また、稲武地区にある大正時代に造られたコンクリート製にアーチ型の前橋の景観も出てきました。
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国道153号線沿いにあることは知っていましたが、こんなすばらしい映像になると、見に行きたくなりました。

桜が咲く4月には、ある旅行会社が「星めぐりの町 ロケ地 観光ツアー」を計画しているようです。
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個人的にも、この案内を参考にして、桜が咲いている時にロケ地巡りをしたいと思っています。
このブログを見てくださっている方で、この映画に興味が有りましたら、ぜひご覧いただきたいとお勧めする映画です。


猿投台地区コミュニティ会議が発行している史跡名所MAP48景の一つで、ふれあい散策ウォーク柿野街道コースにも入っている、豊田市越戸町東小笹にある石神(いそがみ)大明神を訪ねました。
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名鉄三河線の越戸駅と平戸橋駅のちょうど中間あたりの電車の通り道に近くの細い道路端の斜面にありました。
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石神大明神は、むかしから石神(いそがみ)さんと呼ばれ親しまれ、とても霊験あらたかな神さまとして知られていました。
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猿投台地区コミュニティ会議が立てた案内板の横には、枝下用水⇔旧飯田街道の通り道の表示もあります。
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石神(いそがみ)大明神について詳しく書かれた案内板です。
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暦応3年(1340年)この地に宝隆院というお寺が建てられ、その境内の南端に位置するここに石神さんが祀られていた。
長年、石の祠に祀ってあったものを、山村宗家によって、現在の社殿が建立され、息災延命の祈願所として改修された。
ご神体は、男性のシンボルである男根で、真言密教の教えにも人間・生命の本源は男女の和合と性愛であることが説かれており、その性的な象徴を男性の性器になぞらえているのが、この石神さんである。
と書かれています。
左下の写真の部分を大きく写してみました。
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石の祠の内外に、石で作られたご神体が並んでいる様子が写されていました。
現在この石の祠やご神体は屋外には見られず、社殿の中に鎮座されています。
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社殿の中は、布が掛けられていて、外からはご神体が見えませんでした。
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石神さんは、下の神様として、子供の夜尿症や婦人病などに御利益があるとされ息災延命、子孫繁栄の神として祀られ、今もなお地元の人々からの信仰が続いているということです。

豊田市猿投台交流館でいただいた猿投台ふれあい散策ウォークの柿野街道コースの資料や猿投台史跡名所MAPを参考に、猿投台地区の史跡を訪ねたいと思っています。
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猿投台のふる里の成り立ちには、猿投台地区の東境を矢作川が清々往々と流れており、古代より水辺に人々が集まり集落を形成し、各地に古墳を築きました。と資料には説明されており、越戸町には2つの塚(古墳)が残っています。
猿投台史跡名所MAPの北部の枝下町・西広瀬町の地図と、
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南部の平戸橋町・青木町・花本町・越戸町・荒井町の地図です。
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越戸町にある2つの塚のうちのその1つが、地図の「43番」に書かれている、西小笹にあるキツネ塚(小笹古墳)です。
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フットサル競技のグランドが広がる造成地のすぐ西側にありました。
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昭和のはじめ頃まで一帯は雑木混じりの竹林で、先端の小高い塚の上には黒松の大木が立っており、松の根元に穴がありキツネ(狐)が住んでいたことから、誰いうとはなしに人々はキツネ塚と呼んだそうです。
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猿投台地区コミュニティ会議が立てた説明板には、寛延2年(1749年)の古絵図には、この塚に山の神が鎮座したとあるが、今日では天満宮に合祀されていると書かれています。
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高台にあり、周囲が一望できることから山の神の説もうなづけるとも書かれています。
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この古墳は、おそらく眼下に広がる田畑を開墾した一族の長の墓だと推測されるということです。

もう一つの塚は、地図の「27番」に書かれている、東小笹にある越戸塚(小笹古墳)で、フットサルのグランドの北側にあります。
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墓地の片隅に土が盛られた場所があり、その前に猿投台地区コミュニティ会議が立てた説明板がありました。
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この塚は宝隆院初代住職の鈴木政貞が埋葬されている古跡で、20年間僧侶としての厳しい修行を重ね、暦応3年(1340年)にこの地に移り、真言宗覚王山心王寺(のちの宝隆院)を建立して、初代住職となった。と書かれています。
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また、鈴木政貞については、三河鈴木氏の祖といわれる鈴木重善(善阿弥ともいう)の子、鈴木政則の嫡男として、嘉元2年(1304年)に生まれた人物です。
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矢作川流域右岸のこの地が、古くから人々の営みの地だったという歴史のあることを、これらの古墳がものがたっています。


2月4日(日)立春の日に、やつば池クラブ主催の「高齢者向けの健康講座」に参加させてもらいました。
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昨年秋(10/28)に計画していた「やつば池健康ウォーク」でしたが、残念ながら悪天候で中止になっていました。
その後、講師の先生のご厚意により、2月に健康ウォークに替わる催し物を開いていただけるということになったそうで、冬季なので屋外は止めて、室内で話を聞いたり身体を動かしたりしての高齢者向けの健康講座が計画されました。
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会場は、やつば池クラブ員の方が経営されているデイサービス(エンジョイハウスわいわい)で行なわれました。
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今回の参加費は無料です。およそ30人の参加者が集まりました。
健康講座が始まる前に、地域の音楽愛好家の人によるギター・マンドリン演奏が行なわれ、童謡唱歌や民謡などを数曲演奏をして楽しませてもらえました。
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その後、デイサービスで高齢者に体操などの指導をされている人が先生になって軽く体を動かす体操などを教えてくれました。
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そして、いよいよ健康講座の始まりです。
今回の講師は中京大の元教授の青木先生です。
日焼けした顔にラガーシャツ姿の先生は、健康そのものです。
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手や足を動かすことで、脳や心臓の老化を防いだり、鍛えたりすることができるということで、左右の手で指を折りながら数を数える運動や、
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片手だけで新聞紙を丸める運動をして指の動きを確認しました。
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その新聞紙を丸めたものを2つ使って、お手玉をしたり、
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座ったままで出来る、足の筋肉の動かし方など、ゲームを楽しむようにしての健康講座でした。

最後に、豊田市の体育協会の方から健康づくり教室の案内がありました。
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「60才からの体力再生教室」というイベントを、4月から毎週水曜日に、午前の部と午後の部で約1時間半、合計10回の講座をおこない、参加費が3,000円(10回分)ということでした。
くわしくは広報とよた3月1日号に掲載されるそうです。
およそ1時間半の健康講座は、暖かい部屋で楽しい話と運動などで、有意義な時間を過ごすことができました。
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最後に拍手で先生にお礼をして健康講座を終了しました

豊田市で節分豆まきが行なわれたお寺の情報です。
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豊田市猿投町の猿投山麓に鎮座する曹洞宗の寺院、猿投山大悲殿(寺号は東昌寺)は、三河新四国八十八ヶ所霊場の第17番札所のお寺です。
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猿投山登山口の駐車場の前にあり、広い境内と立派な本堂です。
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この本堂の中で、毎年2月3日に節分豆まき厄除け祈祷を開催しているということで、初めてその節分会(せつぶんえ)に行ってみました。
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節分会の催しには、多くの参拝者で賑わい、受付で祈祷料を納めて御祈祷をお願いした人たちが、老若男女こぞって豆をまき厄除け祈願をします。
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「福は~うち! 鬼は~そと!」
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祈願した補都の名前を呼びながらの大勢の僧侶による大般若経典読みも圧巻です。
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御祈祷をされた方には昼食の提供もあり、またお楽しみの福引も行われます。
各地区の世話人の方が準備から後片付けまで、取り仕切っているような節分会で、初めて来た人には良く分からない催しに思えましたが、帰りには豆まき用の炒り豆を袋に入れていただいてきました。

2月3日(土)は節分です。
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節分になるとよく聞く言葉で「恵方(えほう)」というのがあります。
恵方って何か?って調べると・・・
方位神の一つである「歳徳神(としとくじん)」は、その一年の福徳をつかさどる神とされています。
この歳徳神がいる方角は全てにおいて大吉とされ、この方角を「恵方(えほう)」と呼びます。
恵方は別名「吉方(きっぽう)」「明の方(あきのかた)」等ともいわれます。
恵方はその年の暦の「十干」によって定まります。
その年の暦と恵方との対応は以下の通り、5年周期・4方位になります。
 甲・己の年(平成36・31):寅と卯の間(「甲」の方…およそ東北東)
 乙・庚の年(平成37・32):申と酉の間(「庚」の方…およそ西南西)
 丙・辛の年(平成33・38):巳と午の間(「丙」の方…およそ南南東、*戊・癸の年に同じ)
 丁・壬の年(平成34・39):亥と子の間(「壬」の方…およそ北北西)
 戊・癸の年(平成30・35):巳と午の間(「丙」の方…およそ南南東、*丙・辛の年に同じ)

愛知県の
尾張地方には「笠寺観音(名古屋市南区)」「甚目寺観音(海部郡甚目寺町)」「荒子観音(名古屋市中川区)」「竜泉寺観音(名古屋市守山区)」という古くより信仰を集めてきた四つのお寺があり、千年以上の歴史の中で、観音様を本尊としてお祀りしてきました。
これら「笠寺・甚目寺・荒子・竜泉寺」の四つの寺院を「尾張四観音(おわりしかんのん)」として、観音様の慈悲をもとめる民衆の信仰を集めました。

尾張の恵方と、尾張四観音の関係については・・・
およそ400年前に、徳川家康公は尾張の国の中心として、名古屋城を築きました。
それ以来、名古屋城を中心としてみた時に、この地域の四方に位置する尾張四観音が尾張を守護する観音様としても、さらに崇敬されるようになりました。
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四観音のうち、その年の恵方に最も近い観音様は「恵方の観音様」として、福を求めて特に多くの参詣者が集まります。
今年(平成30年)の恵方に当たる尾張の観音様は名古屋城から南南東に当たる笠寺観音になります。

ということで、混雑を避けて、一日前の2月2日(金)の午後に、福を求めて笠寺観音に出かけてきました。
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2月3日の節分会の豆まき祈祷の前に、2日の午後8時から前夜祭が行なわれるようです。
笠寺観音の入り口では、名鉄の本笠寺駅方面からどんどんと人が詰めかけています。
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境内では出店が立ち並び、準備を進めている店や、すでに商売を始めている店などがあり、大変な賑わいになっていました。
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恵方の笠寺観音の本堂で一日早い節分のお参りをしてきました。
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縁起物の「福ひいらぎ」や「福豆」などが次から次へと売れていきます。
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境内の中だけでなく、門前にも店が並ぶようです。
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尾張四観音の恵方ということで、節分の日は大変な賑わいになっていることと思います。
久しぶりに訪ねた笠寺観音でした。

豊田市内の旧飯田街道を訪ねている途中で立ち寄った、名鉄三河線の旧三河御船(みかわみふね)駅跡です。
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駅前は御船自治区のふれあい広場になっていました。
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その広場の前を旧飯田街道の道が通っています。
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数本のソメイヨシノ桜が広場の周りに残っており、花壇もありました。
春には桜が楽しめる広場になっています。
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この三河御船駅は、平成16年(2004年)4月の名鉄三河線の猿投駅-西中金駅の営業運転廃止により廃駅になった駅です。
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駅舎は無くて、ホーム1面1線の無人駅で、三河線全線中、最も早く無人化されている駅ですが、かつては豊田市運動公園の最寄り駅で、豊田マラソンなどのイベント開催時には賑わいを見せることもあったということです。
その際は駅員が臨時に出張し、出札業務を行っていました。
ただし、駅舎が無かったので机を持ち込んでの出札業務であったそうです。

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線路には工事用のフェンスが置かれていますが、それが無ければ、線路とプラットホームを見ていると、今にも電車が走ってくるような錯覚をするほどです。
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営業が終了してから十余年が経った今、線路のさびや、プラットホームの屋根が風化した姿を見ると寂しさを感じます。


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廃止される頃の一日の平均乗車人数が60~70人ほどだったということで、車社会による交通手段の移り変わりには勝てなかったようです。
また、ソメイヨシノ桜が咲くころに訪ねてみたいと思っています。

見られるかどうか天気が心配だった今夜(1月31日)の皆既月食。
暗くなった午後6時ごろ、豊田市朝日町の上空には薄雲が流れていましたが、東の空に黄色く輝く満月が顔を出しました。
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1月31日の満月は、今月の1月2日にも満月が見られたということで、1か月の間に2回の満月が起こるときにその2回目の月を「ブルームーン」と呼ぶことがあります。(学術用語ではなく、俗称です)
このブルームーンが、今回はおよそ3年ぶりの
皆既月食になりました。
夕食後、我が家の庭先で月食の写真撮影に挑戦しました。
午後7時過ぎ、空は晴れていて、東の空高くに白く輝いていました。
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月が欠け始めるのが午後8時50分頃ということだったので、そろそろ月が欠けてきているかな?と、9時頃に外へ出てみました。
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すでに左下の部分が黒くなった月食が始まった月が見えました。
通常の月の満ち欠けの時の欠け方とは違って、陰の境目がぼんやりとしているように見えています。
夕方の天気予報では、雲が出るかも知れないようなことでしたが、幸いにもしっかりと見えていました。
寒い夜なので、しばらく家に入って身体を温めての横着な月食観測です。
午後9時10分を過ぎたころの月食です。
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だんだんと暗い部分が多くなり、地球の影が月に当たっているんだなぁと、感じ取れるようになってきました。
午後9時30分過ぎの月食の状態です。
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午後9時48分です。もう少しで皆既月食になるところです。
皆既色の始まりは午後9時51分ということなので、あと3分後です。
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皆既食まで、あと1分です。
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皆既食が始まる9時51分になりました。
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それからおよそ10分、午後10時の皆既月食です。
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ここまで雲にも邪魔されずに、なんとか綺麗な皆既月食の赤い月が見られました。
この後、薄雲が流れてきたようで、赤い月が少しぼやけてきてしまいました。
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皆既食の終わりが午後11時8分です。
その1分前の午後11時7分、月の下の方が明るきなってきました。
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そして、皆既食の終りの時間になりました。
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夜空なので良く分かりませんが、薄い雲が掛かってきているようです。
午後11時14分です。月に光が戻って5分ほど経ちました。
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そして、11時17分の月の様子です。
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ここまで、何とか雲が掛からずに月食が見えてラッキーでした。
この後、少しずつ雲が厚くなってしまいました。
ここで月食の観測を終わりにして、寒さで冷えた身体をお風呂で温めて寝ることにしました。
以上が豊田市朝日町から見えた1月31日の皆既月食でした。




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